日本もスウェーデンも戦後に高度経済成長を遂げた。スウェーデン人である夫の両親も、日本にいる私の両親も、その経済成長を担った世代だ。
両方の家族の一員として、私はかねて、その軌跡がある意味で、1つの時代を象徴すると思っていた。そして私自身がこの2つの軌跡を見て受ける印象は、スウェーデンは経済大国から路線を一転させ、1970年代以降は生活大国へと舵を切ったのではないのかということだ。
今回は、私事になってしまうかもしれないけれども、2つの家族の軌跡に見る違いについてお伝えしてみたい。
スウェーデン(1)
夫の両親は、もともとユーゴスラビアからスウェーデンに来た移民だ。義父は1941年生まれ、義母は1949年生まれ。
義父がスウェーデンに足を踏み入れたのは1966年、26歳の時だ。当時のスウェーデンは森林や鉄鉱石などの豊かな資源に恵まれ、経済成長ブームにあったが、労働力が決定的に不足していた。それで当時のスウェーデン政府は「とにかく住居と給料は保証する」と約束し、イタリアやユーゴスラビアなどの欧州南部から大々的に労働力を募集したのだ。
ユーゴから移住し、スウェーデンに住み着いた義理の両親
こうして国内に迎え入れた若くて安い大量の労働力を背景に、スウェーデン経済は1970年には実質GDP(国内総生産)成長率6.5%という記録を達成している。
義父はベオグラードで高校を卒業した。ある日先にスウェーデンに来ていた兄のところに遊びに来、戦争により疲弊したユーゴとは全く異なる環境に目を奪われ、そのまま居住することを決意したという。
義母もユーゴ、今はクロアチアとなった地域の、海辺に浮かぶクラッパンという美しい小島で生まれ育った。
幼いころに父親を亡くし、その後は母親が女手ひとつで義母の他何人もの子供を育て上げた。
幸い土地が残されていたので、義母の母はぶどう畑を耕し、ワインを造って売るなどして生計を立てた。義母は小学校を4年生くらいまでしか修了していず、わずか10歳のうちから赤ん坊だった妹の子守と家事手伝いに明け暮れて母親を支えた。
義母が、先にデンマークに来ていた兄を頼って島を出たのは19歳の時。同じユーゴ出身の友人の紹介で義父と知り合って結婚し、そしてスウェーデンに来た。
2人の結婚写真が居間に飾ってある。義母の花嫁衣裳は白いベールにミニスカートという、私の目からは一見アグネス・チャン風の、いかにも70年代の少女だ。
初めての子である私の夫を産んだのは24歳の時。なので義母と夫はふた回り違うウシ年だ。