欧州通貨統合というシステムへの信認を維持するため、あるいは財政政策の運営が各国の主権に委ねられたままであるという制度欠陥をユーロ圏が自力で克服できることを内外に強くアピールするため、ドイツのメルケル首相は6月7日、戦後最大とされる財政緊縮計画を発表した。2011~2014年の4年間に社会保障など様々な分野で計800億ユーロの歳出を削減する計画。南欧諸国を意識したドイツの「率先垂範」ということのようである。

 財政緊縮がユーロ圏全体で強化されるということになると、それによる景気下押し圧力を和らげるため、金融緩和の継続に加え、通貨安による輸出促進が望ましいということになってくる。このため、ユーロ安を容認する発言がユーロ圏政策当局者から数多く出てきている。6月7日、ユーロは対ドルで一時1.1876ドルまで下落。対円では108.06円まで下げる場面があった。そして、ユーロ安方向の値動きについて、達成感はまだない。

 5月27日にオーストリア中銀のノボトニー総裁が「米国がこの動きをいつまで容認するのかを見極めなければならないだろう」と述べていたように、こうなると、どこまでユーロが下落すれば米国がクレームをつけるのか、という点が市場の関心事になってくる。

 ただし、ここで忘れてはならないのは、(1)ユーロ安ドル高によって米国がメリットを受けている面もあるという事実、(2)G20・G7は欧州連合(EU)・欧州中央銀行(ECB)による危機対応策を支持していること、の2点である。上記(1)の関連で、ユーロ安が進む中でのユーロ圏・米国・日本それぞれの「損得」を、ここで表の形で整理しておきたい。

図表1: ユーロ相場下落によるユーロ圏・米国・日本それぞれのメリットとデメリット
  メリット デメリット
ユーロ圏 ○ユーロ圏の外に対する輸出競争力が向上する。財政緊縮強化による景気下押し圧力の緩和を期待できる。

○グローバル展開している欧州企業の収益がユーロ安で膨らむ場合がある。
●ドイツ以外のユーロ圏諸国(特に南欧)から投資マネーが流出し、それら諸国で長期金利が上昇(→ただしECBによる国債買い入れで部分的に上昇抑制)。
米国 ○信認が低下したユーロからドルへの資金シフトが発生しており、米国債の消化状況が以前に比べ、かなり安定。

○上記により長期金利が低下しており、景気刺激効果が期待できる。

○ユーロ安・株安と連動して原油価格が下落しており、エネルギー効率が相対的によくない米国の経済にとって、下支え要因になる。
●ユーロ圏や中東欧などに対する米国企業の輸出競争力が低下する。

●グローバル展開している米国企業の収益がユーロ安で目減りする場合がある。
日本 (円が「逃避通貨」として選好されて日本に資金が流入しても、日本の国債消化はもともと約95%が国内資金によるものであり、国債消化状況の目立った好転は起こりにくい)

(また、日本の長期金利はデフレと超低金利の常態化を背景にもともと低くなっており、欧州信用不安を材料にした長期金利の低下幅は、米国に比べると、小さなものにとどまる)
●ユーロ圏や中東欧などに対する日本企業の輸出競争力が低下する。

●グローバル展開している日本企業の収益がユーロ安で目減りする場合がある。

出所: みずほ証券金融市場調査部

 ECBは6月10日、最新のECBスタッフによる経済見通しを公表した。ユーロ圏の実質GDPの予想(中央値)は、2010年について0.2%ポイント上方修正される一方、2011年については0.3%ポイント下方修正された。域内の各国が財政緊縮を強化していることによるマイナスの力と、為替市場でユーロ安が進行したことによるプラスの力の双方を勘案した上で、2011年について下方修正したと考えられる。

 一方、バーナンキ米連邦準備理事会(FRB)議長は6月9日に下院予算委員会で行った議会証言で、「市場が安定化を続けるならば、(欧州の)危機が米国の経済成長に及ぼす影響はモデストなものにとどまる可能性が高い」「最近の株価下落や欧州の経済見通し弱体化は、米国経済に一定の影響を及ぼすだろうが、米国債や住宅ローンの金利低下、原油などグローバルに取引される商品の価格下落を含む、相殺する方向に作用する諸要因がある」と発言した。

 筆者は、米長期金利の低下(米10年債利回りの取引レンジが3%台後半から3%台前半に下方シフトしたこと)については以前からコメントしていたが、原油など資源価格下落が米国経済にもたらすメリットについては、まだ指摘していなかった(上記の図表には書き込んでいる)。確かに、ユーロ高と原油高がペアになって進行していた局面の裏返しがいま起こっているわけで、エネルギー価格の動向に景気・物価が左右される度合いが大きい米国の中央銀行トップが、原油価格の動向を重視しているのは、うなずける話である。

 ユーロ安進行に対する米国の「受忍限度」は? という問いに対する筆者の答えは、特定のユーロ/ドル相場の水準ではなく、「ユーロ安によって米国経済が受けるデメリットがメリットを大幅に上回る状況になったとき」、ということになる。そして、現時点では、米国にとってのメリットとデメリットはうまくバランスしているように思える。

 ユーロ安による日本の「損得」はどうか、図表にある記述から分かるように、ユーロ安によるデメリットがそれなりにある。ちなみに、財務省の統計を見ると、2009年下半期には、日本からの輸出のうちユーロ建てになっていたのは全体の6.7%だった。また、EU向けの輸出については、51.1%がユーロ建てになっていた。一方で、もともと国債の消化状況が安定しており、長短金利の水準も低いことから、リスク回避志向を強めたマネーがユーロ圏などから「避難所」を求めて日本に流入してきても、経済にもたらされるメリットは乏しい。

 市場ではしばしば、ECBがユーロ買い介入に近く動くのではないかという見方が聞かれるが、筆者は、まったくそのようには考えていない。ユーロ圏諸国のうちドイツは、伝統的に、為替介入には消極的である。一方、フランスは過去、介入に積極的な姿勢を取るケースがあった。しかし今回の局面では、ノワイエ仏中銀総裁からも、あるいはフランス人であるストロスカーン国際通貨基金(IMF)専務理事からも、ユーロ相場の水準に問題はない、という趣旨の発言が出ている。トリシェECB総裁もフランス人だが、ユーロ圏が陥っている事態の深刻さを十二分に理解していると推測されるだけに、彼がユーロ買い介入を主導するようなことは、まずないだろう。