ノーベル賞を2つ取った男、ジョン・バーディーンの仕事の仕方を考えています。第1のノーベル賞受賞業績「トランジスタの開発」は、契約で勤めた会社であてがわれた応用問題に過ぎず、バーディーンとしては理論家としての真骨頂を見せるような仕事ではなかった、と前回までお話しました。
では20世紀半ばの段階で「理論物理学最大の問題」とは何であったか?
バーディーンはそこでターゲットを絞ったわけです。その結論が「超伝導」でした。
ノーベル賞級業績の上げ方
ここで改めて「ノーベル賞級の業績の上げ方」を確認しておきたいと思います。人を食ったような話ですが「ノーベル賞の取り方」は「ノーベル賞級の業績を上げること」にほかなりません。
文学者などで、ノーベル賞なんて器でもない者が、戦略的に英語やスウェーデン語などの翻訳を作って運動しているのを目にするわけですが、まあ、なんと言うか、多くの見識ある人は、ご愛嬌と思って見ています。
何よりも重要なことは「ノーベル賞級の仕事をすること」です。それには何が重要か?
答えもまた、人を食ったようなものかもしれませんが、「ノーベル賞級の問題を解決すること」が条件であることは、言うまでもありません。
これは文学などで考えれば分かりやすく、いくら面白い小説や戯曲を書いても、あるいは世界的にヒット作が出たとしても、それが「ノーベル賞が求めるような問題の解決に直結」していなければ、この賞とは関係がありません。
世の中には、何か「候補だ誘致だ立地だ」などと騒ぎ、メディアにお金をばら撒いて世論のお祭り騒ぎを作り出し、メディアを抱き込むことによってある種の操作が容易にできると思っている人もいるようですが、愚かしいとしか言いようがありません。
ノーベル賞をそういう具に使うのは、情けない話と思います。
そうではない、ノーベル賞級の業績を上げるには、ノーベル賞の対象となるような「良い問題」を選んで、それに取り組まねばなりません。
そういう「問題の選定」つまり「ターゲット設定」が重要なのです。
すでに広く報道されていることとは思いますが、現在は京都大学の山中伸弥さんは、もともとは神戸大学出身の整形外科医でした。
若い頃は部活動で柔道やラグビーに夢中になっていた時期が長く、何より整形外科の臨床に適性が低く、これでは使い物にならん、と研修医が終わってから大阪市立大学の大学院に進んだという経歴の持ち主です。
30歳を過ぎてから博士研究員として進んだカリフォルニア大学サンフランシスコ校のグラッドストーン研究所で「幹細胞」研究と出合ったのは31歳のときだったようです。
そこで持ち前の知的な馬力をフルに生かして業績を上げますが、帰国後は日本国内の幾多のマイナス要因の中ではかばかしい進捗が得られませんでした。
しかし、1999年、36歳から37歳のときにかけて奈良先端科学技術大学院大学に職を得てから復調、2003年、41歳でiPSの仕事をしてにわかに国内外の注目を集め始めます。
翌年には京都大学に招聘され、それ以降、日本の再生工学の中心人物として内外に活動を展開し、2012年には国際幹細胞学会理事長、再生工学界全体の後押しも受けて同年のノーベル医学生理学賞を受けました。