世の中には「不思議」なことがたくさんあります。私自身もそうですが、多くの人が「不思議」なものに、興味を惹かれると思います。「不思議、大好き」というキャッチコピーもありました。
さて、この「不思議」が大好きな人はたくさんいると思いますが、その不思議に対する向き合い方というのは、大別して2つに分かれると思うのです。
1つは「不思議だなぁ・・・」と思いつつ、そこで詠嘆して終わる系。いわば俳句を詠むみたいな感じでしょうか?
例えば磁石は鉄を引き寄せます。種をまけば花が咲く。「不思議だなぁ」「きれいだなぁ」まずもって、その気持ちを持つことは大切ですが、そこから先はファンタジーが広がる系の反応を示す人がいる・・・と言うか、日本社会ではこちらが圧倒的に多いと思います。
これに対して、現代の日本社会ではマイナーですが、違う反応を示す人もいます。
「不思議だなぁ・・・でも、なぜそうなっているのだろう? そのメカニズムを調べてやろう・・・」
マイナーと言うか、物好きと言った方がいいかもしれませんが、大学人や研究者、あるいは開発者などに向いているのは、こういう「よおし、調べてやろう」系の人であるような気がします。と言うのも、不思議を不思議のままブラックボックスに入れておいても、決してそこから新たな展開は生まれてこないわけですから。
徹底して健康な「アンチ・オカルト」
で、前回の続きで話の主人公は物理学者ジョン・バーディーンになります。バーディーンやリチャード・フィリプス・ファインマンなど、私が10代末に素敵だなと思った物理の知性たちには、ある共通点があるように思うのです。
それは、分かりやすく言えば徹底した「アンチ・オカルト」、非常に健康な「世の中のあらゆる現象には、徹底して原因のメカニズムがあるはずだ」という信念と「それを理解できないわけがない。理論的に記述できないなんてあり得ない」という活力、知の旺盛な食欲だと思うんですね。
二十何年か前、音楽の仕事を始めた当初「およそ人間の耳に聴こえるもので、再現できないものはありません」と看板を掲げて、作曲も演奏もかなりチャレンジしながらガリガリやっていましたが、その背景にはファインマンやバーディーンのことがありました。
ファインマンは「およそ理論家だなんて看板を掲げるなら7つの異なる方法で同じ現象を記述できなきゃダメ」なんて、格好良いけれど至難なことを言います。
私は、そういう才能を持つ高校の同級生が何人かいて(例えば藤原宏・現名古屋大学多元数理科学研究科教授とか、出口哲生・御茶ノ水女子大学教授とか)、とてもそんな能力はないとハナから分かっていましたが、こと音楽については自分も6~7通りくらいは何とかなりそうでしたので、これを徹底するようにしたわけです。