日本人が食の資源としてきた「鯨」。日本人と鯨の関わり合いを巡る歴史と現実を、前後篇に分けて追っている。

 前篇では、日本における捕鯨と鯨食の歴史を見てきた。江戸時代、日本の浦々で「鯨組」が鯨を捕り、余すことなく食べていた。鯨に対する感謝の念もあったに違いない。

 明治時代になると、鯨組の時代は幕を閉じ、新たに企業家が「ノルウェイ式捕鯨」または「近代式捕鯨」と呼ばれる効率的な捕鯨技術を導入し、南氷洋などでの遠洋漁業も始まった。加工や保存の技術も進み、昭和40年代まで、鯨は“あって当たり前”の食材だった。

 だが、鯨油価格の暴落による欧米諸国の捕鯨撤退や、国際会議での論争の影響から、世界で捕鯨への反対論が高まっていく。国際捕鯨委員会(IWC:International Whaling Commission)が商業捕鯨のモラトリアム(一時休止)を決議し、1985年からすべての商業捕鯨が禁止となった。ノルウェイ、日本、ソ連などが直ちに異議申し立てを行ったものの、米国の圧力などから日本は決議を受け入れ、国内では鯨肉は食卓や学校から鯨の姿が消えていった。

 今後、日本人はかつてのような鯨食を取り戻すことができるのだろうか。後篇では、鯨類学の専門家である東京海洋大学大学院の加藤秀弘教授に、科学的研究で鯨資源のことがどこまで解明されているのか、そして、危機にある鯨食文化が復活する見通しはあるのか尋ねてみる。

日本人が鯨を奪われるまで

 捕鯨史の中で、戦後の半世紀ほど状況が激しく変わった時代はなかっただろう。

 1946(昭和21)年、米国、英国、ソ連、ノルウェイなどの当時の捕鯨主要国15カ国が「国際捕鯨条約」を結び、48年に発効させた。戦後、各国が大規模捕鯨を再開し、鯨の乱獲が憂慮されたため、鯨資源を保護する目的で作られた条約だ。

 1949(昭和24)年にはこの条約の下、IWCの第1回年次会合が開かれた。IWCは、鯨類の適当な保存を図り、捕鯨産業の秩序ある発展を可能にすることを目的とした委員会だ。敗戦国の日本は1951(昭和26)年に条約加入を認められ、「国際捕鯨委員会」の一員となった。