今年の成人式を迎える人たちは、1992年4月2日から1993年4月1日までに生まれた。バブルが崩壊しデフレが続く中で育ったデフレ世代ということになる。彼らの夢や希望も、デフレになっているのだろうか。
「先生、俺たち夢なんてないっすよ」
大学の授業の中で、10年後の自分を念頭に、「自分の夢を書く」という課題を1年生のクラスで出したところ、しばらく思案していた学生が、こうつぶやいた。彼らの多くが成人式を迎えるのは来年だが、デフレ世代であることに変わりはない。
教室では、村上龍が『希望の国のエクソダス』の中に、「この国には何でもある。だが、希望だけがない」と言葉が出ていることを紹介したうえで、絶対的な貧困や飢餓、戦争といった極限状態ではなく、そこそこモノは手に入るという時代には、夢や希望は語りにくいのかもしれない、という話をした。
しかし、こんな話をしながら、今の状況はちょっと違うのではないか、という気がしてきた。改めて調べてみると、この本が刊行されたのは2000年で、中学生の日本脱出という物語の背景には、バブル崩壊後の経済停滞と閉塞感があると説明されている。それから10年以上の歳月が過ぎ、閉塞感はさらに深まったように思う。「この国には何でもある」というよりは「何にもない。まして希望なぞ」という気分ではないか。
親よりも豊かになることが難しい世代
日本学生支援機構の「学生生活調査」によると、昼間部の学生で何らかの奨学金を受給している学生の比率は2008年に43.3%だったが、わずか2年後の2010年には50.7%に上昇している。2人に1人の学生が奨学金を受けている状況で、学生を取り巻く環境も一段と厳しくなっているということだろう。現在の若者が抱いている閉塞感は、社会の成熟によるというよりも、社会全体の貧困化によるものかもしれない。
戦後の経済成長は、親よりも豊かな暮らしを次の代に伝えてきたが、これからは、親のような暮らしは難しいことが約束された時代になるのかもしれない。まさに夢も希望もない時代であり、豊かな暮らしの夢を語ることも、抜け駆けするような後ろめたさがついてくる時代かもしれない。