アメリカ東海岸のペンシルベニア州にスリーマイル島原発(TMI)を訪ねて取材した「スリーマイルからフクシマへの伝言」の3回目である。2012年11月、原発の北6.5マイル(約10キロ)のところに住むメアリー・オズボーンさん(1943年生まれ)の自宅を訪ねて話を聞いた。事故前から活動を続ける市民団体「スリーマイルアイランド・アラート」(TMIA)の紹介である。事故後、原発を監視するTMIAに参加し、住民の健康被害や動植物の異常を記録するボランティア活動を続けている。次第に経験と知識を積み、連邦議会で証言をするまでになった。

 チェルノブイリ原発事故の翌年1987年には、環境運動家の招きで日本を訪ねたこともある。写真アルバムを見せてくれた。山口県の離島・祝島を訪ねたときの写真があった。中国電力・上関原発の建設反対運動を30年近く続けている人口500人の小さな瀬戸内の島である。私も取材に行ったことがある。話が弾んだ。

 私が驚いたのは、福島第一原発の周辺住民から聞いた話と一致する話が多いことだ。「事故後、金属の匂いや味がした」「体毛が抜けた」「鼻血が止まらなくなった」「健康被害は避難のストレスのせいだと言われた」。初対面なのに、似た話があまりに次々に出てくるので、オズボーンさんも驚いていた。そして住民の目には健康の異常は明らかなのに、行政や電力会社はもちろん、疫学調査も断定的な結論を避け続けている。ここでも、スリーマイル島原発周辺の話は「フクシマの33年後の姿」のようだった。

口の中で金属の味がした

──スリーマイル島原発でメルトダウン事故が始まった1979年3月28日朝、どこで何をしていたのか教えてください。

オズボーンさん 「午前6時、出勤する夫にタマゴとトースト、コーヒーの朝食を用意して見送りました。すると夫が『おい、外に出て空気の匂いをかいでごらんよ』と言うのです。外に出てみると、ものすごい金属の匂いがしました。口の中にも金属の味(metalic taste)がしたのを覚えています」

──えっ! 福島第一原発事故で最大の放射能放出があった3月15日、風下の飯舘村にいた人も「金属が焦げるような匂いがした」と私に話してくれました。

 「(驚いて)やっぱりそうですか。ユタ州やネバダ州の核実験場の周辺でも爆発の直後には住民が金属味を感じたと聞きました」

──その後も金属の味や匂いは続きましたか。

 「午前8時、9歳だった娘を送り出したころには、金属味はしませんでした。登校する子供がたくさんいたのを覚えています」

──TMI原発方向から風が吹いていましたか。

 「天気のいい、温かい穏やかな日でした。春になったんだなと思いました。風はなかったと思います。鳥がまったく鳴いていないのが不思議でした」