昭和11(1936)年、満鉄社員会から『成吉思汗伝』なる本が出版される。著者はエレンジェン・ハラ=ダワン、訳者はハルビン学院出身の本間七郎である。この本はその後、1938年に朝日新聞でも再版されている。
私とこの本との出会いは、10年以上前、北京の古本屋でのことである。
カルムイク、波乱万丈の歴史
ふと眺めていたときに、モンゴル文字で「チンギス・ハン」と書かれた背表紙に目が留まり、中を見てみると日本語であった。価格は10元、当時日本円にして150円ほどであったので、買うのに勇気がいるようでもないし、珍しいと思って購入した。
当時は作者のことも全く知らなかったが、その後、この本がとんでもない本であるということが分かった。部分的にはすでに「チンギスハン崇拝は日本が作った?」でも書いたが、今回は、この本をめぐる物語をしてみたい。
以前、カルムイクという民族の波乱万丈の歴史をご紹介したと思う。
実にこの400年の間に新疆からロシア、ヨーロッパ各地を経て、アメリカ東部にまで散らばった人々であるが、その中にはロシア革命で白軍側につき、劣勢の中でヨーロッパに亡命せざるを得なかった人々がいた。
この本の作者、ハラ=ダワン(1883-1942)も、そのような経緯で、ユーゴスラビアに住み、そこで生涯を終えたカルムイク人である。
この『成吉思汗伝』の元となった本は、『軍指揮者としてのチンギス・ハン』(以下チンギスハンと約す)という題名であり、1929年に、ベオグラードでロシア語で出版されている。つまり、亡命先で出版された本ということになる。
住んでいる地域で話されている言語でもないことから、販売ルートに乗ることは想像し難い。部数に関する情報もないが、おそらく本のわずかしか出されていないはずである。その本がなぜ、たった7年で日本語での翻訳が出版されたのだろうか。
一般的には、言語学者でユーラシア主義者のN・トルベツコイや、モンゴル研究者のB・ウラジミールツォフがこの時期にチンギス・ハンに関して本を出したことに刺激を受け、遠い故郷を思いつつ筆を取ったものだと言われている。