この拙文を書き始めたのは、10月25日、石原慎太郎東京都知事が辞任した日です。

 当初、筆者は「石原慎太郎東京都知事は辞任すべきだ。それが尖閣問題を一時でも鎮める、今のところ最良の策だから」と書くつもりでした。

 JBpressへの記事の掲載予定日は11月9日、すなわち本日です。中国では昨日から中国共産党大会が始まっています。胡錦濤総書記が習近平国家副主席に権力委譲すると見られている中国共産党大会の2日目というタイミングでの掲載が吉と思っていました。

 しかし石原都知事は10月25日に早々に辞任を決めてしまいました。先行する現実にネタを奪われたわけです。

 それでも「都知事を辞める」とだけ報道された第一報を聞いたとき、ああ、さすが都知事は自分のやるべきことがよく分かっておられる。これで石原知事は史上最高の都知事として名を残すと感心していました。

 ところが、続報で知事を辞めたあと新党を結成すると聞いて、筆者の評価は180度変わりました。この人は、日本国民のことなど全く考えてはいないと。

和睦の提案をはねつけて滅ぼされたテュロス共和国

 <自分よりもはるかに強力な軍隊に攻撃される君主が犯す過ちで、より大きな失敗は、和睦をはねつけてしまうことだ。特に申し入れが先方からあった場合は、なおさらのことである。というのは、提示された内容がどれほど意に沿わないものであるにせよ、その中には受け入れ側に都合のよい条件も、必ずや含まれているからである。したがって、勝利者の役割を分かち持つことになろう。>

(『ディスコルシ 「ローマ史」論』、ニッコロ・マキァヴェッリ著、永井三明訳、ちくま学芸文庫)

 

 アレクサンドロス大王がダレイオス3世率いるペルシャ軍をイッソスで破り、次の侵略地エジプトに行こうとしていた紀元前322年、今のレバノンの南端に近いところにテュロス共和国がありました。