教育における「公」と「私」で考えているわけですが、今回は思い切り「私」の方に振れたお話を書こうと思います。
以前にもどこかに記したことがありますが、実は私は生まれてから成人するまで、教育指導要領に生真面目に則った教育というものを受けたことがありません。
どういうことかと言うと、幼稚園から高等学校まで、すべて私立、しかも一風どころかそれ以上に変わったスクールカラーを持ったところだったので、同世代に共有されている日本の教育を受けたと言えるか、定かではないと、実は思っています。
40歳を過ぎるまでは、そんなことで、こういうことはあまり表で話さないようにしていました。
幼稚園から高校までずっと私学と言うと、裕福な家庭に育ったと思われるかもしれません。が実際は小学校1年で父が亡くなってから教師の母が1人で生計を支えての通学で「教育エンゲル係数」みたいな数値を考えれば極端にそれが大きな家計だったと思います。
逆に言えば、かなり厳しい家計の状況でも、何とかやりくりすれば、そんなにべらぼうに高い月謝でもない範囲で、私学に通うということもできた。
しかしそれより徹底していたのは、母の奇妙な家庭教育でした。
と言うか、母は学校の教師で、カリキュラムというものを徹底して批判的に見ており、そこから独自と言うか、かなり極端な「指導要領無関係」の教育を施されたのです。今回はそういうお話をしてみましょう。
「文部省の指導要領はダメ!」の教え
英語教師だった母は、公立学校の一律カリキュラム、特にその横並びにとりわけ強い批判的な意識を持っていました。
「文部省の指導要領はダメである」
これが、我が家の中での教育を考える基本前提だったので、かなりおかしな家だったと言わざるを得ないでしょう。