ときおり「天下国家」という言葉を使うのですが、そうすると、かなりの確率で、ずいぶん大げさなことだと思われる反応をいただくように思うのです。
なるほど「天下」ですし「国家」です。国家百年の計、みたいな大きな話もあって当然でしょう。
しかし、果たしてそれだけなのか?
国家の計、と言うと大げさですが、これ、つまるところ「政策」でもあります。ところがこうなると、ずいぶん規模が小さく見えがちになる。
例えば「増税」とか「減税」を考えてみましょう。紛うかたなき「政策」です。そしてこれこそ「天下・国家」のまつりごとの現実そのものでもあります。
ところが「若者が天下国家を語る」というようなとき、消費税増税だ所得税減税だといった話を想起しにくいかもしれない。
「そういうことじゃだめなんじゃない?」
と、とりわけ大学の中で若い人と話すとき、指摘するようにしているのです。
企業・行政と並べて考えてみる
やや、前置きが長くなってしまいましたが、お話ししたいのは前回の続きで、教育機関の「経営」の問題です。
前回、思った以上に多くの反響をいただきました。その中には、これは予想したことでしたが、やはり「教育サービス産業」に是という意見の方もおられました。そうした意見の仮性近視の実態を指摘したいというのが、今回の眼目にほかなりません。
いま、以下のAのような議論があるとしましょう。
A:「私立の教育機関は、授業料を『支払ってくれる』児童生徒学生・あるいはその保護者に対して『教育サービス』を提供する。当然であり何が悪いか」
これと並行してみるといいと思うものが2つあります。一般企業と行政、各々と国民の関係を、似たような形でB、Cとして記してみます。
B:「各種企業は、対価を『支払ってくれる』顧客に対して『サービス』を提供する。当然であり、何が悪いか?」
C:「官立の行政機関は、税金を『支払ってくれる』国民納税者に対して『行政サービス』を提供する。当然であり何が悪いか?」