私は世界の食料生産を研究しているが、食料生産の歴史を見るとき、日本はつくづく特殊な国だなあと思う。

 日本を「コメの国」として異論はないだろう。コメは大変優れた作物であり、近代になって品種が改良され、化学肥料が使われる以前は、小麦などに比べて単位面積当たりの収穫量がだんぜん多かった。そんな関係で、コメを作っている国の人口密度は高いのだが、その中でも日本は特に高い。

 日本は昔から移植型栽培(田植)を行い、また洪水が起こりやすい地域にも堤を作って水田を広げてきた。そのようなたゆまぬ努力の結果、狭い日本列島に多くの人が住むようになった。

 水田では水管理が重要になるが、そのことは気が付かないうちに日本人の気質を作り上げた。

 灌漑用水路の管理は1人ではできない。台風などで堤が壊れたときは、村総出で修理しなければならない。日本で生きていくためには、村人との共同作業が欠かせない。村八分(もしくは若者用語の“KY”=空気が読めないやつ)になってはダメ。そんな意識は今も脈々と息づいている。

「改革の時代」が終わった日本

 稲穂の国について説明した後、一足飛びに日本の政治を語りたい。8月に消費税増税法案が成立すれば、いつ総選挙を行うかが最大の焦点になる。与党に不利な結果になりそうだからなるべく先に延ばすことになろうが、それも来年の夏までだ。

 その争点はなんになるのだろう。大阪維新の会の“船中八策”だろうか。小沢一郎氏の“反消費税増税”と“反原発”だろうか。

 しかし、それらは大きな争点にはならないだろう。鳥瞰したときに、“争点がないこと”が次の総選挙の最大の特徴になろう。それは「改革の時代」が終わったことを意味する。

 平成になるとバブルの崩壊を受けて、政治を改革しなければいけないとの機運が高まった。多くの人が、政治が悪いからバブル崩壊後に景気の低迷が続いていると考えたためだ。昨今はあまり聞かなくなったが、「経済一流、政治三流」などと言われたものである。