北米報知 2012年5月16日23号

 第二次世界大戦前、シアトル日本街にあったタカノ写真館で撮影された写真の一部が、インターナショナルディストリクトのウイングルーク博物館(719 S. King St., Seattle)に展示されている。

ウイングルーク博物館に展示されるタカノ写真館の資料

 1920年に日本街にオープンしたタカノ写真館は、初代オーナーの日本帰国を受け、28年にヘンリー三宅さんと妻のユキコ・ヒラタさんが引き継いだ。

 英語に堪能で、親しみやすい人柄から、日本街でも人気の写真館だったという。

 今と違い写真が珍しかった時代、大切な仲間や家族とのつながりを記録し、形に残していくのは、写真館の大切な役割だった。

 写真は大切に飾られ、ときに日本にいる親族に送られたという。タカノ写真館のレンズを通し、当時の日系人コミュニティーの様子がうかがえる。

 写真館で撮られたものは結婚写真や家族写真が多い。日本街の自宅や店、ベルビューやグリーンレイクといった郊外の農場で撮られたものもあり、20年代から30年代に米国西海岸で有数の規模を誇ったシアトルの日系社会の多様さと大きさをあらためて感じる。

 学校や教会で撮られた集合写真も多い。2000人近い子どもたちが放課後通っていたという日本語学校や、1899年に設立された日本人バプテスト教会のスポーツクラブ、ワシントン大学の日本人クラブや芙蓉会といった日系グループの集合写真には、子どもたちや若者の活気ある様子が写る。

 写真のそばには当時を振り返る関係者のコメントがあり、かつての日本街の様子を今に伝えている。