4月30日、民主党政権になってから初めてホワイトハウスでの日米首脳会談が行われ、野田佳彦首相とバラク・オバマ大統領は日米共同声明「未来に向けた共通のビジョン」を発表した。
民主党政権発足後、普天間問題などで迷走していた日米関係も改善へと向かいつつあるようだが、「平成の黒船」「第3の開国」などと表現する者もいる環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)への交渉参加表明については見送られた。
リンカーン大統領と日米修好通商条約
開国通商を求めるミラード・フィルモア第13代大統領の命を受け、マシュー・ペリー提督の黒船が来航して以来、160年ほどになる日米関係。そんななか、初めてホワイトハウスで大統領に謁見した日本人と言えば、1860年5月、日米修好通商条約批准書交換のため派遣された万延元年遣米使節であった。
その相手は民主党の第15代大統領ジェームズ・ブキャナン。秋には奴隷制反対を掲げて立候補した共和党のエイブラハム・リンカーンが当選、そのまま南北戦争への道をたどっていく米国激震期のことだ。
来訪者にはさぞかし立派に見えたであろうこのブキャナン大統領は、歴代大統領の中で、その評価の最下位の座を、フランクリン・ピアースやフィルモアといった前任者・前々任者と争っている存在だ。
この使節については、どうしても勝海舟や福沢諭吉の乗っていた咸臨丸のイメージが先行するが、「護衛」の名目でやってきた咸臨丸の面々がサンフランシスコからそのまま帰途に就いたのとは違って、正使一行には、そこから大陸の反対側、ワシントンD.C.へと向かうさらなる試練が待ち構えていた。
咸臨丸の無名の乗組員が西部の荒野へと繰り出していく日本映画『EAST MEETS WEST イースト・ミーツ・ウエスト』(1995)にも描かれているのが、ちょうど時を同じくして始められた「ポニーエクスプレス」という特急飛脚便とでも言えるサービス。
しかし、最速を誇るそのスピードをもってしても大陸を横断するには10日はかかる、というのが当時の現実。徒歩が主体だった一般人なら、半年以上かかったという。
そうなると、いくら特別装備の馬車など用意したところで、ロッキー山脈越えをはじめとした道程は、体力的にもキツい。さらには、西部の荒野を走る馬車は、無法者の絶好の餌食であることは、多くの西部劇の題材となっている通り。
日本という国の存在すら知らぬ輩にとって、その公式使節であることなど何の意味も持ちそうにない。