しかし、法制度上可能でも、わが国の政治判断に逡巡が起こることは想像に難くない。そこで、取られている策がMDだと考えた方がいい。つまり、MDはベストではなくベターな策なのだ。

 抑止力を考えれば、核に対しては核を、ミサイルに対してはミサイルを保有することが有効だが、わが国にはそれらの選択肢がないのである。

 また、日本のMD配備は米国の意向だという指摘も多い。米国が日本に対して、自国への軍事的な依存度を高めさせ、また高い買い物をさせるためにやらせているのだという。その通りかもしれない。しかし、それでは他に取り得る術があるのかどうか? である。

 このように独自のお国事情からわが国が自ら選択したものがMDであるということを、「当たる当たらない」を論じる以前に、まずは認識しなければならないだろう。

 ミサイル迎撃に至るまでのプロセスは、「探知」(発見)→「追尾」→「要撃」→「迎撃」となる。最も重要なのは「探知」、つまり、いかに見つけるかである。

 しかし、この最重要部分を日本は、米国の早期警戒衛星に頼っている。つまり米国の「目」がなければ身動きが取れないのだ。もし、その状態を卒業したいならば、日本も、2008(平成20)年に成立した宇宙基本法に基づき、安全保障分野での宇宙開発を加速させる必要があるが、遅々として進んでいない。

 MDについて課題を残すならば、まずこうした日本独特の事情を問題提起すべきだろう。

情報の大半を「もらっている」立場が明らかに

 一方、今回、計らずも北朝鮮のミサイルが沖縄上空を通過するということで、石垣島や宮古島にもPAC3などの装備や自衛官が入ったことは、日本の安全保障政策上のメルクマールと言えるのではないだろうか。

 これは自衛隊法82条の3(3項)における破壊措置命令に連動する形だったようだ。BMD統合任務部隊指揮官(航空総隊司令官)が、自衛隊法95条「武器等防護のための武器使用」に基づき、陸自による警護を防衛大臣に上申し承認されたものと、万が一、被害が生じた場合に備えて、というもの。

 派遣根拠法については整理していく必要もありそうだが、今回の行動がその端緒になれば1つの成果と言えるだろう。

 とにもかくにも、日本では(当然、北朝鮮側も)万全の準備が進められ、4月13日に「衛星」打ち上げは試みられた。しかし結果は失敗。国内ではまたぞろ、情報伝達の不備などが取り沙汰されている。

 今回の諸々の「遅れ」については、繰り返しになるが、米国との共同作戦と言っても、肝心の「目」を全面的に頼っており、日米は情報の「共有」ではなくて、日本が情報の大半を「もらっている」立場であったことが改めて明らかになった。この点こそ、今後、わが国の論点となるべきであろう。