3月初め、宮城県石巻市の水産加工団地で工場を営んでいた宮本水産の専務、宮本嘉二さんから「臨時の工場ができた」という電話をもらった。
東日本大震災による津波で工場は全壊、再建するかどうか悩んだ末、2011年末、元の場所の土地をかさ上げした上で、工場を再建することを決めていた。地盤を整備するには数カ月かかるので、工場の再開は早くても今年末だと聞いていた。
ところが、水産加工業者も加わる石巻魚市場の買受人組合が被害の少なかった工場を借りて、再建を急ぐ工場主に工場の建屋を貸すことになり、宮本さんもここを借りることになった。
魚を処理する調理台などを新たに買い入れ、元の従業員を中心に12人を雇用し、1年ぶりに加工を再開した。震災前は18人を雇っていたから、3分の2の規模で再開したことになる。
力となった企業や政府の支援
もともと「沖ハモ」と呼ばれるイラコアナゴが得意な加工場。今回も、まず手がけたのはイラコアナゴとタラだった。“開き”に加工して、2次加工の水産加工会社に販売する。
「まだ試運転といったところだが、新工場ができるころまでには、生産も元の状態に戻したい」と意欲を見せる。兄で社長の宮本佳則さんも、プレハブの仮事務所で満足そうだった。工場が動き出すまでは家に閉じこもっている時間が長く、奥さんのみつ江さんを心配させた時期もあった。
この建屋には、ほかに2軒の水産加工業者が入り、本格的な再開までのつなぎ操業で力を蓄えていた。
敷地内にあるコンテナ型の冷凍庫は、三菱商事や日本郵船などの企業グループが三陸の水産業を復興させるために無償で提供した船舶輸送用のコンテナだ。「希望の烽火(のろし)」と名付けたこの支援プロジェクトは、各地で水産業者の再建に貢献しているが、ここでも加工業者の役に立っていた。
元の場所での新工場の再建は、水産庁の予算による、沈下した土地のかさ上げと、中小企業庁の予算による設備投資の助成金が後押しをした。遅い遅いと批判されながらも、国の予算が復興の手助けになっている例を見ると、「結果オーライ」という気にならないでもなかった。いったん再建が決まると、従業員を確保したり、元の得意先との関係を維持したりする必要があり、こうした「つなぎ」が役立つということだろう。