日本各地で、障害のある人たちの作品に、これまでにないほど関心が高まっている。福祉的な観点からではなく、芸術として鑑賞しようという動きだ。千代田区や中野区などの東京都内でも、わが町から障害者アートを発信しようと区が展示を支援している。

アール・ブリュットという美術分野

小幡正雄(2010年没)は、赤い色、そして男女や家族というモチーフにこだわり続けた
Masao Obata
sans titre, entre 1990 et 2007
mine de plomb et crayon de couleur sur papier
49,1 x 59,3 cm
Photo : Onishi Nobuo
Collection de l’Art Brut, Lausanne

 芸術品はメッセージが必ず伴うが、障害者らの作品の中には、その程度が恐ろしいほどに強いものがある。

 それらは見る人に衝撃を与え、見る人の心を豊かにする。日本のあちこちが、そんな尊さに気づき始めている。

 この社会現象の先導者は、滋賀県の障害者アートの美術館「ボーダレス・アートミュージアムNO-MA」(2004年設立)だ。

 同美術館では、1月21日から日韓合同企画展「Art Brut in Japan and Korea 日/韓 行き交うところ」で、まだ知られていない韓国の障害者アートと日本の作品とを一緒に展示している。

 この展覧会名にある Art Brut(以下アール・ブリュット)はフランス語で、美術の1分野を指す。日本語では「生(き)の芸術」と訳されている。日本では、英語訳の「アウトサイダー・アート」という呼び方も使われている。

 ヨーロッパでは、すでに1900年代初めから精神障害者のつくる芸術に視線を向けていたが、「正統的な専門的芸術教育を受けず独自の方法を発見して」という基準によって、制作者を精神障害者に限定しないのがアール・ブリュットだ。

 知的障害の人や精神障害の人が多いが、アール・ブリュットのすべてが障害のある人の作品ではない。受刑者、ホームレスといった人たちも含まれる。この基準に沿って、美術関係者や研究者は膨大な作品の中から突出した独自性を持つ作品を選んでいる。

パリでの大成功を経て

日本のアール・ブリュット作家の代表格の澤田真一。無数の突起(トゲ)を付けた焼き物をつくる
Shinichi Sawada
sans titre, entre 2006 et 2007
terre et émail
53,6 x 26,5 x 26 cm
Photo : Nobuo Onishi
Collection de l’Art Brut, Lausanne

 日本でのアール・ブリュットへの関心は、2010年3月から昨年初めまでパリで開かれた「アール・ブリュット・ジャポネ展」の影響が大きい。

 日本全国63人のアール・ブリュット作家たちの作品が招待展示され、約12万人もの来場者数を記録したことは、まだ記憶に新しい。

 同展は「N0-MA」がコーディネートした。「N0-MA」を運営する滋賀県社会福祉事業団と滋賀県が、パリ市から勲章を受賞するまでに至った。

 しかしパリで高い評価を受ける以前に、日本版アール・ブリュットをヨーロッパで初めて体系的に取り上げたのは、スイス、ローザンヌの美術館「コレクション・アール・ブリュット」だ。

 パリの展覧会は、ローザンヌの特別展「ジャポン展」が火つけ役となって開かれたのだった。