- 第1次世界大戦後に急速に進歩した航空機
- 世界で最初に航空母艦を作ったのは日本だった
- 熟練搭乗員の損耗で米国に追いつかれ、そして完敗した
- 短い滑走路で離着陸できる理由
- 正規空母は米国、フランス、ブラジルの3カ国が保有
- フォークランド紛争で大活躍、英国の軽空母と「シーハリアー」
- 正規空母と軽空母の中間にある特別なロシア空母
- ロシアから2隻の空母を購入するインド
- 軽空母の性能と遜色ない日本の護衛艦「ひゅうが」
- 太平洋戦争開戦時相当の対潜水艦能力
- 毎朝一斉に行われる甲板上のゴミ拾いの意味
- 推力が必要に達するとボルトが折れて艦載機が発進
- 発艦・着艦時には大きな加速度で体が全く動かない
- なぜ米軍は夜間の発着訓練を重視するのか
- 乗組員のために1日当たり3万食が用意されている
- 空母VS空母の会戦は歴史上太平洋戦争だけ
- ミッドウェー後、熟練搭乗員を失ったことが最大の敗因
- 「マリアナの七面鳥撃ち」で次々海の藻屑と消えた「ゼロ戦」
- 対艦弾道弾の開発を試みるも断念した旧ソ連
- 潜水艦の所在を全地球規模で掌握しようとする米軍
- ロシアから次々とソ連時代の最新兵器を購入した中国
- 中国は早くも航空母艦の艦長養成に走る
- 兵器を提供してきたロシアも中国に対する警戒を始めた
- 中国の大型航空母艦が日本の港に入港する日
航空母艦、略して空母、英語では Aircraft Carrier と言う。単純に言えば、航空母艦とは、飛行甲板と格納庫を有する軍艦であり、海戦における航空機の活用を第1の目的に開発された艦種である。
第1次世界大戦後に急速に進歩した航空機
拙稿では、航空母艦の生い立ちから今日の現状まで、分かりやすく紹介できればと考えている。
航空母艦をカタログ的に紹介するのは簡単であるが、それは既に数多く巷間に紹介されているので、今回は筆者の見聞、実体験を通じた、もう少し現場のにおいがするリポートとしたい。
1.航空母艦の生い立ち
まず、航空機の生い立ちから始めることにしよう。ライト兄弟がライトフライヤー号で世界初の有人動力飛行に成功したのが1903年12月のことだった。
その後、航空機は、第1次世界大戦(1914~1918)開戦当初から陸戦の偵察に活用され、弾着観測さらに機関銃を搭載した戦闘機、爆弾を投下する爆撃機に使用され始めると、その開発に各国がしのぎを削り急速に進化した。
当時、この利点を海戦にも活用できないかと考えるのは至極当然の成り行きであったであろう。事実、英国は軍艦を改造した航空母艦「ユーリアス」を、世界最初の航空母艦として第1次世界大戦に投入している。
世界で最初に航空母艦を作ったのは日本だった
しかし、初めから航空母艦として計画された、世界で最初の航空母艦を完成させた国は、なんと我が国、日本である。艦名は「鳳翔(ほうしょう)」、就役は1922年(大正11年)のことだ。
基準排水量7470トン、全長168メートル、最大幅17.98メートルは、今日、海上自衛隊の誇る「こんごう型」イージス艦の基準排水量7200トン、全長161メートル、最大幅21メートルにほぼ等しい。この大きさに、「鳳翔」は搭載機に常用15機を数えていた。
ちなみに「鳳翔」は日支事変、太平洋戦争において実戦にも活用されたが、戦後も生き残り、復員輸送にも活躍した幸運な航空母艦であった。
その後も日本海軍は、航空機派と、当時は日本海軍の主流であった戦艦(大艦巨砲)至上派との軋轢を重ねながらも、空母自体の改善、運用能力の向上、艦載機および航空魚雷等武器の開発、搭乗員の養成に人と資材をつぎ込み、空母戦力の充実強化に営々と努力を傾注した。

