悪夢のような「3.11」から、早くも9カ月が経った。福島第一原子力発電所事故に関する東京電力の危機管理についても徐々に全容が明らかになりつつある。

 危機が発生したら、初動における迅速な決断と果断な処置がいかに大切であるか、いまさらながら痛感される。他方、「初動における迅速な決断と果断な処置」を採ったとしても、これが後日、人に評価されるとは限らない。危機管理の宿命である。

廃炉を恐れて被害を拡大させた福島第一原発

野田首相、福島第1原発の「冷温停止」を宣言

黒煙を上げる福島第一原子力発電所3号機(3月21日)〔AFPBB News

 「迅速な決断と果断な処置」によって、危機が無難に収まると、人々は最悪の事態が発生する可能性が存在したことまで忘れてしてしまう。

 このため、往々にして「過剰反応をした」あるいは「不必要なことをした」といった批判が後日出てくるものだ。

 仮に今回の原発事故で、早々にベントを実施して圧力を下げ、消火系から海水注入を実施していたら、廃炉にはなっただろうが、放射能漏れの被害はこれほど深刻にはならず、水素爆発も生起せず、事は既に終息に向かっていたであろう。

 放射能の除染で、これだけ大騒ぎをすることもなかったに違いない。だが、これを決断し処置した人は、多分、処罰されるか、責任を取らされていただろう。

 放射能汚染は今回の事故と比べて、はるかに微量だっただろうが、「ベントによって放射能を撒き散らした」、あるいは海水注入によって「廃炉にした」「過剰反応だった」「不必要なことをした」など、非難されこそすれ、評価されることはなかったに違いない。

 廃炉の責任を問われて、株主代表訴訟が起きたかもしれない。「危機を未然に防止する者は、決して英雄になれない」と言われるゆえんである。

 危機管理の担当者は、この理不尽さを承知のうえで決断しなければならない。後日の非難には耐えねばならないし、組織の長はこれを理解してやる責務と度量が必要だ。

 危機管理には、こういう属性がついて回る。危機管理に強い国造りを目指すのであれば、国民が危機管理の属性を理解しておくことが求められる。現場の対処について、冷静に評価し理解できなければ、危機管理の教訓として蓄積することができないのだ。