日本にしてみれば、取引禁止を避けるために「背に腹は代えられない」(政府筋)として4割削減を選んだのが真相だ。従来より重い漁獲規制とその厳守を国際社会にアピールすることで、「最悪のシナリオ」を免れられると踏んだのだ。
ところが、2010年になってEUや米国が取引禁止を強く打ち出し、日本の目論見は外れる。その背景には、漁獲規制を守らない漁業者が少なからず存在し、「ICCATでの議論や合意は無意味だった」との不満が、欧米諸国の間に強まっていたことがある。
締約国会議では最終的に取引禁止は免れたものの、当初、禁止反対の多数派工作は思うように進まなかった。事前の主導権争いでは完全に後れを取り、政府関係者の間には「厳しい情勢」に追い込まれたとの認識があった。
クロマグロ禁止論、再燃の恐れも
加えて、米国政府代表団関係者は会議終了時、クロマグロ問題を「次回会議で再び提案するかもしれない」と語った。次回のワシントン条約締約国会議は2013年にタイで開かれるが、クロマグロが改めて討議の俎上に載った時に、再び、取引禁止を阻止できる保証はどこにもない。
今回は、なんとか鎮火したものの、おき火から再び炎が上がらないとも限らない状況なのだ。「クロマグロに絶滅の恐れがある」という問題提起の息の根を止めない限り、何度も蒸し返されることになるだろう。大西洋・地中海ばかりでなく、太平洋やインド洋のマグロへの戦線拡大も懸念される。
脂の乗り具合をチェック(築地市場で)〔AFPBB News〕
そもそも、世界の漁獲量の8割を消費する「マグロ消費大国」日本が、マグロの漁獲をめぐる国際的な論議をリードできなかったのは何故か。
最大の理由は、「主要プレイヤーの日本を抜きにして、国際秩序は形成できない」「我こそが当事者である」という明確な意識が欠除していたことではないか。マグロに限らず日本が多国間交渉で常に後手に回る理由として、それは無視できない要因だと考える。
ドーハという地名で多くの日本人が想起するのは、1993年10月のサッカー・ワールドカップ(W杯)米国大会のアジア最終予選での「ドーハの悲劇」だ。
最終戦のイラク戦、前半からゲームをリードしていた日本は、後半ロスタイムに同点に追い付かれ、つかみ掛けていた初の本選出場のチケットを逃した。その瞬間、代表選手がピッチに倒れ込み、言葉もなくただ宙を見つめていた映像を記憶する人は少なくないはずだ。
最終予選には、日本、韓国、北朝鮮、イラン、イラク、サウジアラビアの6カ国が進出した。中立国で総当たりのリーグ戦を争い、本大会に出場する2カ国を決めることになっていた。
チームの実力に加えて、開催地も勝敗を分ける重要な要素だ。当然のことながら、選手にとっては、移動距離が少なく、母国の気候風土に近い地域での開催が望ましい。

