国境越えは、長期個人旅行の醍醐味の1つである。国境を渡る時はいつも緊張感がみなぎり、ひとたびイミグレーションを通過すれば、民族や宗教、食べ物、服装、習慣、そして空気もがらっと変わる。
メキシコからベリーズに入る際は、イミグレーションでのビザ取得に時間がかかり、ベリーズシティまで行く国際バスから置き去りにされてしまった。やむなくローカルバスに乗り換えたのだが、車内は大混雑のうえ、乗客は小麦袋や鶏などまで持ち込み、冷房のない車内は蒸し風呂状態。人間の汗と穀物、動物の臭気が錯綜する中で油汗を流した(次のページの写真)。
ホンジュラスに入る国境の検問では、他の白人はノーチェックだったが、アジア人は私だけで目立ったのか、「チーノ!」と警官に別室に連行され、携行品をすべてテーブルの上に広げて、こと細かく検査された。
ここまでする必要はないだろうと憤ったが、私にはまだ緩やかだったようで、一緒に移動していたアラブ系のチェニジア人はドラゴンのタトゥーをしていたため、パンツの中まで調べられるという心胆の寒い思いをしていた。当局はタトゥーのある白人系の犯罪者を手配していたらしい。
夜の銀座が懐かしい
今まで、貧しくて治安が悪い国や地域では、幾度か煮え湯を飲まされそうになった。ニカラグアの首都マナグア。治安が悪くて名高いマルサ・ケサダ地区では、宿泊したホテルにアルコールがなかったために、宿近くのローカル食堂で独り寂しく晩酌を楽しんでいた。
ところが、こちらをにらみ続ける黒人系の若者たちがいるではないか。やばいとは思いつつ、友好の証として笑顔を向けたが、相手は表情が一層、険しくなった。
勘定を済ませて店を出ると、彼らが「チーノ!!」と叫びながら後を追ってきたので、宿までの距離、約200メートルを前のめりで走っていた。
逆に中米で最も安全と言われる旅行者にっての安息の地は、コスタリカの首都、サンホセである。コスタリカは、軍隊を持たないことを世界に先駆けて憲法で定めた。世界の生物の5%がこの国に住むと言われており、その豊かな自然を生かした観光立国でもある。
教育レベルも高く、中米ではパナマと並んで最も安全な国と言われている。町は夜でも人通りが多く、酒場も賑わいを見せている。
その国の治安の良し悪しは、女性や子供が夜、外出しているか、または男が一人で夜の街を徘徊した時にどれだけ安全に酒色に耽れるかどうかで分かるものだ。
そういった視点で捉えれば、一昔前より治安が悪化したにせよ、日本はまだまだ世界一安全な国と言えるのではないか。日本は古来より夜の歓楽において、その時間の中に粋と懇切を秀逸に忍ばせてきた文化がある。そしてなお、その華やかな風趣は現在も続いている。
世界を席巻するエグゼクティブが羽を休める憩いの歓楽街、銀座は世界に誇れる文化の粋を凝縮したような街である。夜の銀座には、シンガポール航空のファーストクラスのサービスですら太刀打ちできないような、安寧の境地へと誘う温々としたポスピタリティーがある。遊興するのに確かにカネはかかるものの、その気にさえなれば誰でも逸楽することができる。
中米を跋渉していて銀座禁断症状に陥った私は、早速、コスタリカの夜の街の散策を開始することにした。
コスタリカは世界に名だたる美人産出国
表参道のような繁華街の中、懐かしの赤提灯を発見した。喜び勇んで中に入ると、そこは寿司屋だった。現地の若者が赤い半被を着て寿司を握ってくれた。
ネタは小さくて見るからに貧相だが、ここは中米だ。ご愛嬌と久々の寿司らしい食感に感激し、舌鼓を打った。ところが、請求書を見ると日本の寿司店並の値段に血の気が引いた。
気を取り直して、再び街を一人で“パトロール”する。グアテマラシティやエルサルバドルなどでの夜の徘徊は、強盗や誘拐というシャレにならないことが起こる確率が高いので臆してしまうが、ここはコスタリカ。安全な国のはずだと思うと、歩いているうちに気持ちが次第に大きくなる。
コスタリカ、コロンビア、チリを指して、美人産出国の世界の「3C」と言うらしい。サンホセはその一角を占める国の首都だけあり、確かに町中が美麗なセニョリータの宝庫と化している。