ニューヨーク市ウォール街のズコッティ公園で9月17日から始まった「ウォール街を占拠せよ(Occupy Wall Street)」デモは、約2カ月半がたったが今も場所を変えながら継続されている。

 彼らの公式ウェブサイトを見ると、活動をすぐに終わらせる意向がないことが分かる。運動はすでに世界900都市に飛び火したが、元をたどればチュニジアから始まったジャスミン革命の息吹が米国に波及したことによる。

 ただ、中東諸国で続いている運動との決定的な違いは、向こうが民主化を求めた政府転覆をも視野に入れた革命運動であるのに対し、ウォール街占拠デモはオバマ政権転覆を目指す運動でない点だ。

問題を単純化しすぎているデモ参加者たち

NY「オキュパイ」デモがウォール街を占拠、2万人行進も 米国

ウォール街占拠デモ〔AFPBB News

 当たり前のことだが、民主国家である米国はすでに言論の自由も集会の自由もある。

 「われわれは99%だ」という主張は多くの人の共感を得ているが、問題を単純化し過ぎるきらいがある。デモに参加していない人たちの意向をすべて代弁しているわけではない。

 リーダーの不在とデモ行動の目的が不明確なままである。あえて目的を探すと、より多くの雇用とより平等な収入、金融システムの改革となるが、真剣に目的達成のシナリオが描けているわけではない。漠然とした反体制運動の形を取っている。

 筆者は、大学の卒業論文のテーマが1960年代のアメリカ新左翼運動の研究で、それを契機として米国の大学院に進んだ。60年代の米国には、公民権運動とベトナム反戦運動という2つの大きな社会運動があった。

 当時、デモは全米に広がり、何十万人という規模に膨らんでいた。結果的には1964年に黒人に市民権が与えられ、75年にベトナム戦争も終焉を迎えるが、デモ行動という観点で、当時の運動から得られる教訓がある。

 それはデモ行動が過激になればなるほど、政府当局の規制が強まっていく事実である。今回のウォールストリート占拠で、米国人の書き手もその視点で論じる人はほとんどいない。

 11月15日、ニューヨーク市警はズコッティ公園のデモ参加者を強制排除し、公園を封鎖した。デモ参加者は太刀打ちできず、多くの逮捕者を出した。

 非暴力デモを標榜していたこともあるが、目的意識が漠然としている限り、数十万人を動員することはできず、当局との衝突では結果的に押し切られてしまう。