暫定税率、衆院再可決で成立

野党時代の民主党は、暫定税率に反対する運動を主導した〔AFPBB News〕

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 またガソリン税などの使途を道路整備に限定していた道路特定財源を「時代遅れ」と非難したほか、道路財源を職員用マッサージチェアなどに転用していた国土交通省のムダ遣いも追及した。

 さらに、参院で法案審議を遅らせたことで、ガソリン税と自動車取得税、軽油引取税の暫定税率を1カ月間失効させ、攻勢に遭った福田内閣は2009年度から道路財源を改革し、使途を縛らない一般財源化すると表明せざるを得なくなった。

 こうした経緯を考えると、首相の鳩山由紀夫が「国民との誓い」として、ギリギリまで税率廃止にこだわりを見せた理由が分かるが、最後は小沢の意向に配慮せざるを得なくなった。

裏切られた約束と聖域化

 さらに、民主党の主張を考える上で、暫定税率の課税根拠という側面も見逃せない。これは道路財源の肥大化の歴史をさかのぼってみる必要がある。

 暫定税率がスタートしたのは田中角栄内閣の1974年度。当時は道路整備5カ年計画を改定し、73年度から始まる計画の事業量を10兆3500億円から19兆5000億円に引き上げたことで、財源の確保が焦点となっていた。このため、政府・自民党はガソリン税、自動車取得税、自動車重量税に関して税率の上乗せを決めた。

 だが、第1次オイルショックで石油の供給動向が不透明だったため、「2年間の暫定措置」と位置付けられ、根拠規定はガソリン税や自動車重量税が租税特別措置法、自動車取得税が地方税法の附則にそれぞれ定められた。

 当時、大蔵省主税局長だった高木文雄(後に大蔵事務次官、国鉄総裁)は以下のように国会で述べている。

「消費抑制、資源節約の見地を織り込んだ税制として、暫らく情勢を待ちながら最終的に決めてはどうか。全体の水準の問題を含めて2年後に総洗いする前提であり、だからこそ租税特別措置(法)で審議をお願いした」

聖域に切り込んだ狙いは、橋本派潰し

 しかし、この発言はあっさり反故にされる。2年後には何事もなかったかのように税率は延長されたばかりか、軽油引取税の暫定税率も導入されたのだ。

 以来、道路整備費を確保したい国土交通省(旧建設省)が自民党族議員や地方自治体と結託したほか、税収を手放したくない財務省(現大蔵省)や総務省(現自治省)も税率維持で足並みを揃え、道路財源と暫定税率は、不即不離の関係で維持され続けてきた。

 こうした「聖域」に挑戦したのは小泉純一郎だった。小泉は2001年に首相に就任すると、敵対する橋本派が金城湯池とする道路財源に切り込むため、使途を縛らない一般財源化を主張した。

 しかし、暫定税率を維持したまま一般財源化すれば、石油・自動車業界から「納税者(=自動車ユーザー)の理解を得られない。一般財源に回すのならば税率を下げるべきだ」と批判されるのは必至。財務省は表面上、「財政再建のために一般財源化が必要」と主張しながらも、内心では「虎の子」の暫定税率を失いかねない一般財源化には二の足を踏んだため、小泉内閣での見直しはわずかに止まった。