2008年の金融危機以降、「強欲」と「恥知らず」のレッテルを貼られたウォール街への糾弾が続いている。金融機関は、ゴルフなどのイベントにスポンサーとして参加する際にも、社名を表に出さないように苦心している有様だ。

 ウォール街の振る舞いに、米国民は怒りを募らせていると報じられている。未曾有の不況を招いた張本人として、金融機関を非難するのは簡単だ。しかし、その前に、米国民とウォール街の関係について、もう一度考えてみることも無意味ではないだろう。

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 実は、今日、ウォール街に本社を構える主要金融機関はない。2001年にJPモルガン・チェースが本社をミッドタウンに移転したのが最後だ。近年の「空洞化」にもかかわらず、ウォール街は依然金融界と同義語である。「ウォール街」は象徴的な存在なのだ。

 スティーブ・フレイザーは、その著書『Every Man a Speculator』において、南北戦争時から今日に至るまでのウォール街の歴史を綴っている。フレイザーが描くのは、米国民がウォール街をどのように受け止めてきたか、いわば国民による「ウォール街」像だ。

 同書によると、20世紀前半まで、ウォール街は支配階級のものだった。巨万の富と政治的影響力を持つ少数の人間がウォール街を取り仕切っていた。米国が繁栄するにつれ、ウォール街は同国の経済力と同一視されるようになったものの、国民の生活とは無関係な存在であった。

 これが根本的に変わったのは、国民の多くが投資に手を出し始めた1980年代だ。フレイザーが「国民総株主(shareholder nation)」と呼ぶ状況が生み出された。

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 「経済の金融化」が進むと同時に、投資信託などを中心として、一国民にも投資をする機会が開かれた。米国民にとって、こうした投資は資産管理以上の意義をもたらした。自らの意志により投資を行い、そして資産を所有することは、米国流の個人主義や民主主義を謳歌する手段とも見なされたのだ。

 ピンストライプのスーツを着た少数の者に集中していた権力が、幅広い国民に解放されたと、メディアは賞賛した。国民によるウォール街の「乗っ取り」を、民衆による革命に喩える者や、「金融民主主義」と呼ぶ者もいた。