今回の総選挙はいつもとは少し違っていた。2009年8月30日の投票当日、午後5時頃から江戸川区選挙管理委員会事務局の電話が鳴りっぱなしで、内容は「これから投票に行きたいが、投票券が無いが、どうしたら良いか?」「どこへ行ったら良いのか?」と言う初歩的な質問は、皆若い人で、恐らく初めて投票する人だった。
マスコミの予想通り民主党が大勝した。自民党の菅義偉(すが・よしひで)氏がテレビで「自民党の賞味期限は小泉政権の前に終わっていたのかもしれない」と話していたのが印象的だった。無策で、まともな指導者のいない自民党の敗北は当然だったが、民主党の勝利は、敵失で得たものであった。
劣化した日本の政治
何故日本の政治がこのように劣化したのか? 在京米国人のある政治ジャーナリストは「日本の政治は場当たり的になっています。国民は皆、毎日、真面目に自己責任を果たしているのに、政治家は財政や税制がおかしいから何も出来ないと言って無責任な『言い訳政治』をしました。高度成長時には、問題を先送りに出来たが、今はそれも出来ないし、政治家に判断能力がなくなっています」と言う。
若い人を初めとして国民は閉塞感に苛まれて、前途に希望を持てなくなり「先行きはどうでも良い」と言う雰囲気が漂っている。年金、医療、雇用、子育て、景気、農業、そして格差の拡大に国民の間には不平と不安が満ちている。モノは溢れているが、現在の日本国民の精神状態は、ちょうどアメリカ軍に追い詰められて負けた1945年8月以降の状況に似ていて、不安に満ちている。
作家坂口安吾は敗戦直後、『堕落論』の最後に、「人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。人は正しく堕ちる道を堕ち来ることが必要なのだ。そして人の如くに日本も亦堕ちきることが必要であろう。堕ちきる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救われなければならない。政治による救いなどは、上皮だけの愚にもつかないものである」と書いた。安吾の説く「堕落」と言う言葉は、敗戦直後の凄まじい混乱した現実を覆い尽くす「虚妄」を取り除いた上での、澄んだまなざしの「象徴」であったと私は理解する。