日本の政権史上を達観してみると、民主党の大勝利も、自民党の惨敗も、神や仏の為すワザであると受け止めたら如何か。
その働きの一翼を担わされたのが、2009年8月30日に投票した有権者であるとみる。「自民党にお灸を据えてやれ」「自民党に対するうっぷん晴らし」「自民党でなければ誰でも良い」――。
こんな風潮を醸し出す為に、麻生首相が、漢字を読み間違えたとか、マンガしか読まない、といったことを、大々的に報じた大多数のマスコミも、その神、仏のワザの手助けを重ねて来たと言いたい。
自民党が自滅したのであって、民主党が勝ったのではない。そんな政治論まで、大新聞が不敵にも社説で論じている。民主政治が育てられた戦後の政治史上では例のない、初めての大政変であった。どう考えても、人智では計り知れない大変革となった。
民主政治下における「政権交代」は政治革命ではない。
前者の行き過ぎを切り捨て、足らざるを補うことによって、前者の業績を、より良く完成せしめること。その上で、更に新しい政策を徐々に打ち上げて、国民の納得の上で、新しい時代を築くことではないか。
自民党が提案する重要法案には、今日まで反対を続けてきた民主党にとっては、我々が政権党になった以上、それを否定しなければ、道理に合わないと考えて、事業途中といえども反対し、中止または廃止すれば、民主党は「革新政党」ではなく、「革命政党」となり、民主政治ではなく、「全体主義」、数に因る暴力政治に堕ちる危険政党となる。
民主政治の下では七分三分か、六分四分で、与野党の政策が決まる。ゆえに、すべてが良く、すべてが悪いと決め付ければ、民主政治も政権交代も成り立たない。
言論の自由の下では、審判者は国民であることを忘れてはならない。