本日、公開したコラム「極端に二分化する米国の子育て」の中で、全米の子供たちに向けてオバマ大統領が行ったスピーチについて触れた。以下はそのスピーチ全文を日本語に訳したものである。
みなさん、こんにちは。元気ですか?
今日、私はバージニア州アーリントンのウェイクフィールド高校の生徒たちと一緒にいます。そして小学校から高校まで、アメリカ全国の生徒たちがテレビを通して見てくれています。
今日、みんなが参加してくれて私は嬉しく思います。君たちの多くにとって、今日は新学期の最初の日ですね。小学校1年生や中学・高校1年生の君たちにとっては、新しい学校生活の1日目ですね。もし少し緊張しているとしたら、それは当然のことでしょう。
高校3年生の君たちの中には、これが学校生活最後の年になるということで、かなりウキウキしている人もいるんじゃないでしょうか。そして学年に関係なく、君たちの中には「まだ夏休みだったらいいのに」と思っている人がいるでしょう。もう少し朝寝坊したかったって思ったことでしょう。その気持ちはよく分かります。
私が子供だった時、家族でインドネシアに何年か住んでいたことがあります。母には、私をアメリカンスクールに通わせるお金がありませんでした。だから母は、足りない勉強は母が教えると決めました。毎朝4時半に、です。月曜から金曜、欠かさずにでした。
もちろん私はそんなに朝早く起きるのがとても嫌でした。しょっちゅうキッチンのテーブルでうたた寝してしまいました。でも、私が文句を言うたびに、母はきっとした顔をして「お兄ちゃん、お母さんだって決して楽じゃないんだから」と言いました。
だから、まだ学校生活に慣れなくてぼんやりしている人がいたら、よく気持ちが分かります。でも今日、私がここにいるのは、君たちととても大事なことを話し合いたいからです。君たちの教育についてと、これからの学校生活で君たち一人ひとりに何が期待されているかについて話し合いたいのです。
君たち一人ひとりには「責任」がある
これまで私は教育問題についてたくさんのスピーチをしてきました。そして「責任」についてたくさん話してきました。
私は先生たちに、生徒にやる気を与え、勉強する気にさせる「責任」があると言いました。また親には、子供たちが学校の勉強に遅れることなく、宿題をきちんとやり、テレビを見すぎたり、ゲームばかりやらないように気をつける「責任」があると言いました。
政府の「責任」についてもたくさん話してきました。教育水準の目標を高く設定すること、先生や校長先生を援護すること、そして生徒たちが学べる環境でない荒れた学校を立て直すことなどです。
でも結局、非常に熱心な先生がいても、一生懸命サポートしてくれる親がいても、最高の学校に通っても、君たち一人ひとりが「責任」を果たさなければ、なんの意味もなくなってしまうのです。
君たちが学校に登校し、先生に従い、両親やおじいさんやおばあさんや他の大人たちの言うことを聞き、目標達成のためにたゆまぬ努力をしなければ始まらないのです。
そのことを今日は話したいのです。君たち一人ひとりが学校で果たさなければいけない「責任」についてです。
まずは自分自身に対する「責任」について話します。
君たち一人ひとりに、何かしら特技が備わっているのです。君たち一人ひとりに、何かしら人の役に立てる力が与えられているのです。そして君たち一人ひとりに、それは具体的に何であるかを見つける「責任」があるのです。それを見つける手助けをしてくれるのが、教育なのです。
もしかしたら君は作家になるかもしれません。本を出版したり、新聞に記事を発表したりするほどになるかもしれません。でも、国語の授業で文章を書いてみなければ、自分のその可能性に気がつかないでしょう。
もしかしたら君は画期的なアイデアマンか発明家になるかもしれません。次のiPhoneや、新しい薬やワクチンを発見するほどになるかもしれません。でも、理科の授業で自由研究をしてみなければ、自分の可能性に気がつかないでしょう。
もしかしたら君は知事や議員や最高裁判事になるかもしれません。でも、生徒会に入ったり、ディベート部に加わったりしなければ、自分の可能性に気がつかないでしょう。
どの仕事に就こうと思っても教育が必要
そして、将来何になりたいかにかかわらず、何をするにも必ず教育が必要だということを私は強調したいのです。