日本の金融関係者にとって、忘れることができない1997年11月から、間もなく12年が経過する。

 その月は、バブル崩壊後の日本経済が大恐慌に陥る瀬戸際だった。きっかけは月初の三洋証券破綻。そのショックは北海道拓殖銀行に飛び火し、そして山一証券を飲み込んだ。

 今、あえて、「三洋→拓銀→山一の連鎖破綻はなぜ、起きてしまったのだろうか」――という原点に立ち返りたい。その答えは、おそらく、「リーマン・ショックはなぜ起きたか」という問いにもあてはまる。

 2008年9月15日の米大手証券リーマン・ブラザーズ破綻は避けられなかったかもしれない。しかし、三洋証券破綻の教訓が生かされれば、少なくとも、世界経済を混乱に陥れる事態は避けられたのではなかったのか。米金融当局は致命的な判断ミスを犯したのだ。

10億円のデフォルトが連鎖破綻を招いた

 改めて当時の金融情勢を振り返ってみたい。

 すっかり記憶が遠のいているだろうが、その年の10月まではマーケットは比較的平穏な状態にあった。

 日経平均株価は夏場の2万円台から下落傾向とはなっていたが、それでも1万7000円台をキープ。景気は、春先の消費税引き上げに伴う駆け込み需要の反動減が懸念されていたものの、同年後半には「利上げがある」(都銀)との見方が根強かった。実際、同年度の決算見通しで、都銀の多くは下期の利上げを織り込んでいた。

 こうした楽観的な見方は11月3日の三洋証券破綻で暗転した。破綻をきっかけに、金融機関同士が資金を融通し合うインターバンク市場のコール取引で債務不履行(デフォルト)が発生したからだ。