『樅の木は残った』や『赤ひげ診療譚』で有名な小説家・山本周五郎(1903~1967)に、「金銭について」(『雨のみちのく・独居のたのしみ』新潮文庫に収録)というエッセイがある。
頑固一徹な言行から「曲軒」とあだ名された作家の面目躍如とする一文で、記者の質問に答えるという形式も珍しく、以下適宜抜粋しながら紹介したい。
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問 ふるくから、勤倹貯蓄というのは、人間の美徳のひとつであるといわれてるんですが、どうお考えになりますか?
答 勤倹貯蓄が美徳だということはよく言われてきたことですが、たいへんこれには言葉のアヤが多いので、実際には美徳でもなんでもないと私は考えます。貯蓄というものは、ある家庭が、生活に必要なものを充分に使い、生活をエンジョイする方面にも充分に使い、そうして余ったものを貯めるのが、貯蓄だと私は思うのでありまして、着るものをツメる、飲むものをツメる、食べるものをツメるというふうにして貯める金は、貯蓄ではなくして、命のあっちを削り、こっちを削れ、という吝嗇のすすめだと私は考えます。貯蓄とは本来そういうものではないというふうに私は考えているので、勤倹というような言葉、これは最大多数の衆知からでた言葉ではなくって、支配階級からふり下ろされた言葉だと私は解釈しています。
(中略)
問 すると、先生は金銭というものをどうお考えになりますか?
答 金銭というものは、あってしばしば便利である。しかし、なければ絶対に生活できないものではない。ただ生活するのには、便宜上あるほうが、たまたま便利である、という程度のものであると思う。(中略)金に固執する場合には、金銭が万事を決定する面も持っていると思う。しかし、人間生活を支えているものは金ではなくて、金は附帯的な条件にすぎない。(中略)金さえあれば何かができる、と思ったら大きな間違いで、金があったって何もできない、というのが私の考えです。
(中略)
問 そうしますと、原稿料のことなんですが、先生もまた原稿料でもって、やはり生活をたてていらっしゃることだと思うんですが、先生の原稿料というものに対するお考えを伺いたいのですが──。