南シナ海が、また騒がしくなってきた。(前編はこちら)
1970年代から80年代にかけて、中国が強引に、しかし着々と南シナ海全体の実効支配を進めていく動きを見たASEAN諸国は、南シナ海問題についてのASEAN内部での協議を重ね、1992年にASEAN外相会議で「南シナ海に関するASEAN宣言」を発出した。
それ以降は中国当局とも実務的な協議を重ね、2002年には「南シナ海における関係国の行動宣言」が取りまとめられ、中国も署名した。
これにより、南シナ海での領域や海洋権益を巡る中国とASEAN諸国の係争はいったん鎮静化したかに見えたが、南シナ海を巡る米中の駆け引きは水面下で続いていた。
2001年4月、米海軍の電子偵察機「EP‐3」が南シナ海で哨戒行動中、中国海軍の「F-8」戦闘機と接触して中国の海軍基地がある海南島に緊急着陸する事案が発生した。EP-3は当時、中国海軍がロシアから購入したばかりのソブレメンヌイ級(「杭州級」)駆逐艦の情報収集中であったと言われる。
まさに南シナ海は、中国と周辺関係国との領域や海洋権益を巡る対立のみならず、米中にとっての情報収集や存在表明(プレゼンス)を巡る一見クールな戦い、「米中冷戦(Cold War)」ならぬ「米中静戦(Cool War)」の場、となっていたのである。
中国にとって南シナ海は、台湾やチベット同様「核心的利益」(2010年3月「米中戦略・経済対話」における戴秉国国務委員発言)と位置づけられ、海南島の三亜基地を中心として「聖域」化を図り、最新の原子力潜水艦や近代化された駆逐艦などの配備を進めてきた。
一方、米国は、地下基地の建設などを着々と進めて強力な海空軍力の集中を図る中国に対し、南シナ海における「航行の自由」、すなわち存在表明(プレゼンス)の確保は、米国にとっての「国家利益」(2010年7月ARF閣僚会合におけるクリントン国務長官発言)であるとの立場を取るようになった。
こうして、中国と米国の「国益」を巡る決定的な軍事対立が見え隠れするようになった。
米中の南シナ海を舞台とするクールな情報戦は、時にホットな形を取る。2009年3月には、中国原潜の情報収集に当たっていたと見られる米海軍の音響測定艦インペッカブルが、海南島南方の公海上で、5隻の中国海軍の艦艇などに取り囲まれるなどして航行の妨害を受けた。