11月20日、ニューヨーク市場のS&P500種株価指数が二番底をつけ、11年ぶりの安値を記録した。わずかに残存していた世界同時不況の否定論者さえ、この日で白旗を上げたのではないか。住宅や証券化商品のバブルを原動力とした「米国経済モデル」の崩壊にとどまらず、秋口以降は「グローバル化」や「自由主義経済」など今まで是とされていた概念までが全否定され、混乱の元凶として名指しされはじめた。不況進行中の過程では、その深度について予測を試みても、意味のある回答を得るのは難しい。しかし、不況脱出後にどんな世界が出現するのか、具体的にはブラジルはじめ「次世代リーダー候補」への認識を今から深めておく必要があろう。

 「ポスト金融危機」を占うヒントは、11月14~15日にワシントンで開かれ、日米欧と新興国の20カ国・地域(G20)が集まった緊急首脳会議(金融サミット)に隠されていた。

 金融安定化に向け、サミットは「あらゆる追加的措置を講じる」との首脳宣言を採択したものの、市場の反応は鈍い。危機連鎖を断ち切る具体策を期待した向きには、失望さえ見られた。欧米と新興国には思惑の違いがあり、「実効性のある対策は困難だ」と指摘する声も上がっている。

 しかし、今回の金融サミットは、次のような点で時代を画する意義深いものだった。

 第1に、国際金融界で米国の地位低下が決定的となった点を挙げられよう。政権移行期という特殊状況下とはいえ、「新興国にまで飛び火した金融危機の発端は米国にある」という点が確認され、米国と他の参加国との「立ち位置」に大きな変化が見られた。 

 1997年のアジア危機の際、国際資本取引のグローバル化が一部の国で資本流出を招いた。それは今回の危機と共通だが、当時は通貨危機を招いた国の経済自体への信頼感低下がその原因だった。

 このため、国際通貨基金(IMF)の金融支援と引き替えに、タイやインドネシア、韓国は様々な条件を付けられ、厳しい構造改革を迫られた。IMFの要求条件には経常収支改善や緊縮財政、金融部門再編とともに、貿易・資本移動の自由化が盛り込まれた。危機に瀕した国の経済に規律を求め、欧米投資家からの信頼を取り戻したうえで、米国主導のグローバル経済のフレームへ組み込み直すわけだ。

 これこそが、米国とIMFによる支援の狙い。被支援国の経済回復・発展というより、先進国経済を守り、米国が主導するグローバル経済のルール徹底が目的となった。