地元のものがたくさん詰まった「たみこの夢弁当」

鶏肉に天ぷら衣を付けて揚げた大分名物・とり天に、別府湾のちりめんジャコ、豊後牛のすき焼き、地魚の南蛮漬け――懐かしの郷土料理がギッシリ詰まった「たみこの夢弁当」を作るのは、別府市の中心街でオープンカフェ「タケヤ」を営む水口民子さん。弁当の名にもなっている民子さんの夢は、地元に残る日本最古さとれる木造アーケードの保存だ。行政の支援が得られない中で、手作りの保存活動に奮闘している。

 民子さんが店を構えるのは、別府温泉のシンボルともなっている共同浴場・竹瓦温泉の向かい側にある小さな商店街・竹瓦小路。旧別府港近くの流川通りと竹瓦温泉を結び、かつては船でやって来た入湯客で賑わったという。

レトロな佇まいの竹瓦温泉

 ここに、1921(大正12)年に作られた国内最古の木造アーケードが掛かっている。昭和建築の竹瓦温泉と対をなしてレトロな雰囲気を醸し出しているが、よく見ると木造の骨組みには傷みも目立つ。全長約70メートルの竹瓦小路自体、最近では客足もまばらとなり、空き店舗が増えた。

 民子さんは、毎日、自分の店からアーケードを見上げ、心を痛めていた。

恋人を追って別府へ

民子さん。背景は竹瓦小路アーケード

 1934年、愛媛県伊予市に生まれた民子さんは、20歳で別府に移り住んだ。恋人を追いかけ、夢見るような気分でやって来たものの、生活は苦しく、昼間は洋裁、夜は水商売と働き詰めの毎日だった。当時は別府温泉の最盛期。夜中までネオンが煌々とともり、浴衣姿の観光客がごった返す「不夜城」とも称された盛り場で、夜の蝶として名を上げ、24歳で自分の店を持った。

 民子さんは「とにかく儲かるのが楽しくて、がむしゃらに働いた。でも思い出してみても充実感とは程遠かったような気がする」と振り返る。そんな民子さんも、子どもたちが巣立ち、孫を持つ年齢になって、別府で生きた証しを残したくなった。

 「20代の頃から、いつも、私の上にあったアーケードは私の故郷そのもの。ここを守り、かつての賑わいを呼び戻したい。今は、これこそが、この先の生涯を懸けた私の夢」と言う。

 2004年6月に竹瓦温泉が国指定の登録文化財に決定したことをきっかけに、修復・保存活動をスタートさせた。別府の街並みや自然環境を守る活動を展開するNPO法人「別府八湯トラスト」の分科会として「竹瓦小路保存の会」を発足、募金活動の先頭に立って自治体や企業に頭を下げて回った。