平安末期には存在していた「江戸」という地名、意外に知らない「江戸城」が今ある場所に築かれた理由 江戸はいつ大都市になったのか?(前編) 2025.1.3(金) 西股 総生 フォロー フォロー中 生活・趣味 歴史 シェア9 Tweet この写真の記事へ戻る 撮影/西股 総生(以下同) 現在の江戸城天守台から見た本丸。道灌の江戸城もこの場所にあった 埼玉県嵐山町の菅谷城址に立つ畠山重忠像(実際には城と重忠は関係なさそうだが) 江戸城西ノ丸下(皇居外苑)から見た大手町のビル街。かつてこのあたりは砂浜や浅瀬だった 長野県上田市別所にある安楽寺八角三重塔。同寺は鎌倉時代に執権北条氏の庇護で栄えた 日暮里駅前に立つ太田道灌像 江戸城西ノ丸にある道灌堀。実際には戦国時代の遺構ではないが、昔風の土造りの堀としてそう呼ばれるようになったものか