江戸川のほとりに出現した“ポツンと一軒家”(2025年7月24日、筆者撮影)
東京都江戸川区の江戸川沿いに、まるで“ポツンと一軒家”のような光景が現れている。かつて39軒の家があった地区で、スーパー堤防に反対し続ける一軒だけが取り残されているのだ。その家の主、皆川勇さん(91歳)はこう語る。
「結婚して60年、ここで暮らしてきました。20年前、全財産をつぎ込んで地震にも強い家に建て替えた。その後になって、江戸川区が『この家の半分はスーパー堤防、半分は道路にするから退いてくれ』と言ってきたんです。この年になって他所へ行くのはもう無理です」
終の住処として建てたご自宅の前に立つ皆川勇さん。盛り土を積み上げる重機が遠くに見える(2025年7月24日、筆者撮影)
構想倒れに終わった「治水事業」
「スーパー堤防」は1987年、人口と資産が集中する河川の破堤を防ぐ目的で、利根川、荒川、多摩川、淀川において国土交通省(以下、国交省)が構想した治水事業だ。堤防の高さ1に対して幅をその30倍にして傾斜をつける「高規格堤防」の通称である。
しかし、多くの地区で構想倒れに終わった。2011年の会計検査院の調査で、整備率は必要な区間の5.8%、1対30の完成形が整ったのは1%程度にすぎなかった。
江戸川区では、国のスーパー堤防と土地区画整理事業を組み合わせて推進した。住民に一度立ち退いてもらい、住宅と道路を区画整理し、再び戻ってきてもらうという住民負担の極めて大きい事業である。
その結果生まれたのが、荒川沿いの江戸川区平井7丁目の“惨状”だった。延長わずか150メートルのスーパー堤防は、予定地内の国家公務員宿舎について財務省との調整がつかず、堤防の高さで盛った高さが宿舎手前でプツンと終わり、5メートルの断崖絶壁が誕生した。住民は半数しか戻ってこなかった。2度の移転を余儀なくされるより、1度の転出を選んで町を出たのだ。
このように1対30の「高規格」ではない事業が99%を占める上に、「まちづくり」ではなく「まち壊し」だと批判されるようになっていた。