2人目の妊娠で告げられたまさかの現実

──かなり忙しい日々だったのですね。

光原:本当にそうでした。朝起きたら離乳食やミルクの時間があり、おむつ替え、検査の付き添い、採血室への移動……と、とても忙しく過ごしていました。その合間に、自分の食事やトイレ、それからシャワーなど、なんとか時間を見つけてこなしました。

──シャワーがあるんですね。

光原:病院によりますが、私が付き添った病院では、共用のシャワールームが小児病棟に2つくらいありました。シャワー室前のボードに浴びたい時間を記入する方式で、毎朝早い者勝ちで記載していました。

 ただ、その時間にちょうど検査が重なってしまったり、子どもが泣いて部屋を離れられなかったりすると、入れないこともありました。保育士さんがいた病院では、シャワーの間子どもの面倒を見てもらえて本当に助かりましたが、そうではない病院の場合は、毎日浴びるのが難しかったです。

──食事はどうしていたのでしょうか?

光原:前編で少しお話しした通り、たいていの病院では、親の食事は自分で用意しなければなりません。ある私立の大学病院では、ありがたいことに病院食を親にも有料で提供してもらえました。ただ、あとで他の病院を経験する中で、常食と呼ばれる病院食が出る病院はとても珍しいのだと知りました。

──仕事のほうはどうなったのでしょうか。

光原:すぐに復職はできなかったので、1年間の育休をとりました。その後、長女が保育園に通えるようになってから復職し、入退院を繰り返しながら仕事と育児を両立していた感じでした。

 そんなときに2人目を授かりました。39歳での妊娠ということもあり、高齢出産のリスクも踏まえて、長女がお世話になった大学病院で妊婦健診を受けることにしました。そこで、健診中に「あれ?」という異変が見つかり、長女よりさらに難しい病気であることがわかったんです。

 医師からは、「出産後すぐに手術が必要です。手術をしても普通の生活は難しいかもしれません」と言われました。またあの入院生活が始まるのかという覚悟と、きっと退院後の子育てと仕事の両立はもう難しいだろう。これからは子どもに寄り添って生きていこうと気持ちを決めました。

──そしてまた入院の付き添いの日々がはじまったのですね。

オウルズコンサルティンググループ・マネジャーの石井麻梨氏