今回は、文化面から見たロシアの話をさせていただく。私は、これまでソ連あるいはロシア、中央アジア、コーカサスなどの映画の紹介に関わってきた。そのため、政治・経済に強いほかの筆者の方々とは違う視点からの話となると思うが、これもまたロシア、ということで、おつき合いいただければ幸いである。

今もテレビで放映されるソビエト映画

 私が初めてロシアの地を踏んだのは、1990年3月。今から20年ほど前だ。当時はまだソ連という国家があったものの、冷戦に終結宣言が出され、「ソ連」というシステムの矛盾が次々とあぶり出されていた時期に当たる。

2008年に興行収入で3位になった『海軍大將』(アンドレイ・クラフチュク監督)

 その当時に比べると、表面的には、ロシアは面目を一新している。空港の薄暗い感じはなくなったし、町中は広告があふれ、夜の町は明るくなった。まだまだ輸入品が多いとはいえ、何かを買うために、かつてのように長い行列を作って辛抱強く待ち続ける人の姿を見ることは、まずなくなった。

 ところがテレビをつけると、画面の中の事情は一変する。ソ連時代に人気を博した映画が、今も繰り返し放映されているのだ。もちろん、米国映画なども数多く放映されているのは当時と違うけれども、「ソビエト映画」の存在感は、かなりのものがある。

 もちろん、吹き替え(ないし「吹き重ね」)が必要なかったり、単純に放映料が安かったりすることも、大きな理由だろう。

 しかし、もし「ソ連」が「忘れたい過去」なのだとしたら、もっと別の安い番組でお茶をにごすことはできるはずだ。ロシア人にとって、実は「ソ連」は決して忘れたい過去などではない。むしろ、「停滞の時代」と呼ばれる1970年代前後は、「古き良き時代」として懐かしく思う人が珍しくないのである。

 ソ連時代を知らない世代が社会に出始めたので、今後はソビエト文化など顧みない若者も増えていくのだろう。しかし、日本で「昭和レトロ」がブームになったりするように、ロシアでも「ソ連レトロ」は、それなりの力を持ち続けると思う。

意外に高い映画の社会的地位

 ところで、日本で映画は娯楽の1つでしかなく、テレビの登場で斜陽産業となってしまったこともあり、社会的・政治的には関心がかなり低いものでしかない。ところが、ロシアというか旧ソ連圏の多くで、映画の地位は思いがけないほど高く、社会的関心も高い。

 理由の1つは、「映画は芸術の中で最も重要なものである」という言葉に求められるかもしれない。1917年のロシア10月革命を主導したレーニンの言葉だとされている。

 本人の著作には出てこないが、関係者の回想に、そのような話をしたという記録が残っている。モスフィルムなどの撮影所には、必ずこの言葉が大きく掲げられていた。

 また、ロシア文化では伝統的に文学の地位が高いことも挙げられるだろう。文学は、文化というより、文化を超えた独自の範疇としてとらえられ、その中心にいたプーシキンやトルストイらの文学者は、特別な地位を持っている。

 映画は文学よりは落ちるものの、文学に準ずるものとして、特別な地位を持ち続けてきた。映画監督や俳優の言動が芸能ニュースの域を出ることはない日本と異なり、旧ソ連圏では、1つの社会的事件となることも少なくない。

 例えば、ニキータ・ミハルコフという映画監督がいる。日本でもスターリンの大粛清を取り上げた『太陽に灼かれて』(1994年)や、最近ではチェチェン人の少年を審判する陪審員たちを描いた『12人の怒れる男』(2007年)などほぼ全作品が公開されており、映画ファンの間ではよく知られている。