一種のニヒリズムを含んでいる「親ガチャ」という言葉(写真:アフロ)

 2018年1月20日、滋賀県に住む大学生の女性が自身の母親を包丁で刺し殺した。「滋賀医科大学生母親殺害事件」である。のちに、被害者である母親による娘に対する過剰な教育虐待が犯行の要因であることが明らかになった。

 また、2008年6月8日に起きた秋葉原通り魔事件の犯人である加藤智大死刑囚と、2022年7月8日に安倍晋三銃撃事件を起こした山上哲也被告の両者は、ともに家庭環境に問題があり、親子関係がうまくいっていなかったと言われている。いわゆる「親ガチャ」でハズレを引いてしまったようだ。

「親ガチャ」とは何か、なぜ「親ガチャ」にハズレた一部の人は犯罪に走るのか、それを抑止する策はあるのか──。『親ガチャの哲学』を上梓した戸谷洋志氏(関西外国語大学准教授)に話を聞いた。(聞き手:関瑶子、ライター&ビデオクリエイター)

2008年6月8日に起きた秋葉原通り魔事件と、その犯人である加藤智大死刑囚の写真

──「現代社会は親ガチャ的厭世観に覆われている」と書かれています。これは、どういうことでしょうか。

戸谷洋志氏(以下、戸谷):「親ガチャ」という概念は、元々はネット上で限定的に用いられてきたものです。

 ところが、2010年代後半になってから、「親ガチャ」という言葉はネット上だけではなく、現実世界でも様々な場面で用いられるようになりました。若い世代の友人同士の何気ない会話の中でも、普通に出てくるまでに世の中に浸透した。

「親ガチャ」は、人間が生まれてきた環境によって、その後の人生が決まってしまうというある種の人生観です。哲学の概念では「決定論」や「宿命論」に近いものだと感じています。

 とすると、劣悪な環境に生まれ落ちた子どもは、その後も劣悪な人生を送ることになる。一方、恵まれた環境で生まれた子どもは、満ち足りた人生を送ることができる。そういうことになります。

 ただ、満ち足りた人生を送っている多くの人は、自分の力でそうした人生を勝ち取ったと考えます。それに対して、「自分の人生は、親によって決まってしまう」と考える人たちは、基本的に劣悪な環境に生まれた人たち。

 したがって、親ガチャという考え方は一種のニヒリズムを含んでいます。劣悪な環境に生まれ、恵まれない人生を送っている人たちが、自身の人生を嘆くような概念として普及しつつあるのではないか。そう考えられます。

──お笑い芸人の松本人志氏は親ガチャについて「親ガチャは、若い人たちが軽やかな感じで遊んでできた言葉」「そもそも人生は、全部ガチャ(運、偶然)」というコメントをしています。

戸谷:松本さんは、その発言の際に、「家電ガチャ」を引き合いに出していました。

 家電を購入したとき、その家電がすぐに壊れてしまったり、期待していたほどの性能が出なかったりする場合があります。反対に、購入した家電が予想以上によいこともある。これが「家電ガチャ」です。

 多くの人は「家電ガチャ」に外れても「仕方がない」と許容することができます。であれば、「親ガチャ」も容認することができるのではないか。これが、松本さんの主張です。

 私は「家電ガチャ」と「親ガチャ」には大きな違いがあると考えています。