秋篠宮家はなぜ学習院を避けるのか?という疑問を起点に、学習院における上流階級教育の意義を論じた『学習院女子と皇室』(新潮新書)を上梓した藤澤志穂子氏は、親子4代学習院出身というOGである。藤澤氏は同書を執筆するにあたり、学習院女子中・高等科の同窓会誌を、明治時代に刊行された創刊号から読み直すという作業を行った。同窓会「常磐会」の「ふかみどり」である。
貴重な資料を丹念に読み込むと、外からは見えない皇族の素顔が見えて来るという。あまり外部に知られることのない同窓会誌の中から興味深いエピソードを紹介する。(JBpress)
※本稿は『学習院女子と皇室』(藤澤志穂子著、新潮新書)第5章を再構成したものです。
「常磐会」会員には多くの女性皇族も
学習院の同窓会には、幼稚園から大学院まで、全ての卒業生が入る「桜友会」があります。いっぽう女子には別の組織があります。学習院女子短期大学と、短大が改組された学習院女子大学は「草上会」、そして女子高等科卒業生は「常磐会」という、華族女学校にルーツを持つ同窓会があります。
「常磐会」は華族女学校で1895年に創立されました。すでに130年近い歴史を持っています。
最初は56人でスタートしたという常磐会の会員数は、現在約1万4000人を数えます。現在では女子高等科卒業生が自動的にメンバーとなり、2023年4月には135回目の卒業生となる約200人が加盟しました。
他の組織と決定的に異なるのは、女性皇族の多くが会員に名を連ねていることでしょう。戦前は、香淳皇后、高松宮妃喜久子さま、三笠宮妃百合子さま、戦後は常陸宮妃華子さま、秋篠宮妃紀子さま、そして天皇家の敬宮愛子さまはもちろんのこと、秋篠宮家、三笠宮家、高円宮家のお嬢様方は皆様、例外なく会員です。
常磐会の2023年現在の会長は竹田恭子氏で、旧竹田宮家ゆかりの方、名誉会長は三笠宮家出身の近衞甯子(やすこ)氏で、生前の香淳皇后が長く名誉総裁を務められました。
かつては皇族の「お妃選び」にも関与、上皇后の美智子さまが皇太子妃に選ばれた経緯では、平民で常磐会会員ではない、という事実に香淳皇后が難色を示した、という「都市伝説」がまことしやかにささやかれました。皇太子妃の発表があった直後の1958年12月、昭和天皇の侍従長だった入江相政(すけまさ)が残した日記に、当時の常磐会会長、松平信子(秩父宮雍仁親王妃勢津子さまの母)が、柳原白蓮と組んで「今度の御婚儀反対を叫び愛国団体を動かしたりした由」と記されていたことが根拠とされています。
浅見雅男氏は「敗戦から十数年しか経過していないこの時期には、人間関係のうえでまだまだ学習院と関係が深い人々の中には、国民の多くが大歓迎した美智子嬢の皇室入りを面白く思わない雰囲気があったことはたしかであろう」と分析しています(浅見雅男『学習院』文春新書)