高度経済成長期に大躍進を遂げ一時期は米国をも凌駕した日本の経営は、なぜ弱体化してしまったのか? 日本の戦略コンサルタントの草分けとして活躍し現在ミスミグループ本社名誉会長を務める三枝匡氏は、日本企業が凋落する原因となった“致命的な弱さ”を指摘する。
それは、商品開発には熱心だが「経営手法の開発」に時間もお金もかけなかったことだ。
一方、米国ではすでに1950年代から日本企業の経営手法を徹底的に研究し学び取る動きがあった。三枝氏は、日本企業の強みが米国に解析され、論理化され、武器とされてしまった2つの「読み取られ大事件」を挙げる。
「第1の事件」では、マーケットシェアを高め、借入金をテコに成長を加速させる日本企業の経営スタイルを、米国が学び自分たちのものとした。
「第2の事件」では、米国がトヨタのカンバン方式の「時間戦略」という側面に着目し、事業組織全体の仕事を早回しする「リエンジニアリング」の考え方を導き出した。
グローバルビジネスの最先端で経営進化の戦いを繰り広げる米国企業と、経営の「論理化・抽象化・敷衍(ふえん)化」に背を向けてきた日本企業。両者の差は、1990年代以降さらに広がっていく。日本企業が直視すべき転落の過程を、三枝氏の著書『決定版 戦略プロフェッショナル』(KADOKAWA)から一部を抜粋・再編集して紹介する。(JBpress)