このところ、ロシアの動員兵がろくに訓練も受けず、必要な装備も満足に支給されないまま前線に送られ、大量の戦死者を出していると再三報じられている。
冷戦期のソ連軍の流れを汲み、世界に恐れられていたはずのロシア軍が、いったいなぜこのような無残な状況に陥っているのか。
35年間陸上自衛隊で、主として部隊の作戦運用を専門としてきた筆者の目から見て、ウラジーミル・プーチン大統領が、侵略開始時にロシア軍を従来の軍事作戦とは全く異なる方法で用いたことがそもそもの原因であると考えると、すべてに納得がいく。
神余隆博元駐独大使と筆者の共著による新刊『ウクライナ戦争の教訓と日本の安全保障』(東信堂)で詳しく解説したが、9月のウクライナ軍による反転攻勢に至るまでのロシア軍の作戦を3つのフェーズに分けて捉えると、今に至る全体像を掴みやすい。
現在は第4のフェーズに入った段階だと思われるが、まずはその3つのフェーズから、順を追って見ていくことで、今後ウクライナが勝ち切るために何が必要なのかを考えてみたい。
第1フェーズ:ハイブリッド戦争
今回のロシアによるウクライナ侵略は、2022年2月24日の軍事侵攻によって始まったものではなく、実はその半年以上前の2021年7月から開始されたハイブリッド戦争であった。
ハイブリッド戦争という場合、軍事と非軍事の手段を複合的に使用する戦いすべてを指すこともあるが、ここではあくまでも本格的軍事戦争に至らないよう意図しながら、軍事・非軍事の各種手段で目的を達成しようとする、いわばグレーゾーンの戦争手段を指す。
その手段は多岐にわたり、世論誘導や影響工作などの情報戦や貿易・金融などによる経済戦を含む社会・経済的手段、サイバー・電磁波・無人機・宇宙などの技術的手段、義勇兵や民間軍事会社などの国家を偽装した武装勢力の使用や軍事的恫喝など大規模武力行使ではない武装手段が含まれる。
英国王立防衛安全保障研究所(RUSI)が、軍事侵攻直前の2月15日に出した特別報告によれば、2021年7月にロシア連邦保安局(FSB)第5局に、200人規模のウクライナ工作を担う部局が新設された。
この部局は、キーウのみならずウクライナ各地で親ロ派を育成するとともに、反ロ派をリストアップし、偽情報などを利用してその影響力を削ぐ工作を開始した。
このようなFSBの活動と連携したのが、ロシアでは陸軍とは独立した指揮系統の下にある空挺部隊であり、2021年12月にはFSBと空挺部隊が合同で図上演習を行っている。
おそらく、空挺部隊がキーウを急襲してウォロディミル・ゼレンスキー内閣の要人を拘束し、直ちに親ロ派が新政権を樹立するとともに、サイバー攻撃や通信妨害などでウクライナ軍の動きを封じ、ウクライナ各地で親ロ派が蜂起して国全体を掌握するというのが、プーチン大統領の狙いだったと思われる。
それではその際、ウクライナ周辺に集結した最大19万人とも言われるロシア正規軍は、どのような役割を負わされていたのであろうか。
ベラルーシ領内を含むウクライナ国境沿いに展開した部隊は、それ自体でウクライナを恫喝する目的を担っていたわけだが、プーチン大統領は「ダメ押し」として、2月24日に空挺部隊がキーウを攻撃するのと同時に、すべての部隊をウクライナ主要都市に向け、国境を越えて突進させた。
図1に示すように、この当初3日間のロシア軍の動きは、軍事的な攻撃作戦というよりも、後先構わぬ道路沿いの突進である。
大部隊の進撃によってウクライナ国民を威嚇し、キーウに樹立した親ロ派政権の下、各地で親ロ派が蜂起することで、プーチン大統領の「特別軍事作戦」はまさに「3日で終わる」予定であったのだろう。
しかし、ことがプーチン大統領の目論見通りに運ばなかったのは、米英などに支援された、ウクライナ側の周到なハイブリッド戦争対策があったからである。