(文:竹内健二)
毛沢東は「政治以外はもっぱら読書とお茶とたばこ」で清貧だったと言われるが、習近平は果たして――。秘密のベールに包まれた中国共産党幹部の給料に迫る。
なにごとも秘密主義の中国にあって、とりわけ不透明で、かつアンタッチャブルな領域が「領導(リンダオ)」=指導者たちの私生活だ。10月16~22日に5年に1度の共産党大会が開かれ、習近平党総書記(国家主席)が異例の3期目続投を確定し、新たな最高指導部7人の顔ぶれも出そろったが、彼らの「素顔」はベールに包まれている。
勤務時間は? 食生活は? 住まいは? 服の趣味は? 休日の過ごし方は? 煎じ詰めれば、いくらもらっているのか?――。日本のように閣僚の資産公開があるわけでも、暴露系週刊紙があるわけでもない。
貴重な情報としては、今ほど報道規制が厳しくなかった2015年に、共産党機関紙『人民日報』(電子版)が「習氏の月給は1万元を超える程度で、米高官との格差が大きい」という記事を出したことがある。その後の香港メディアなどの報道で、具体的な金額は1万1385元(約23万円)と確認された。これを単純計算すると年収にして280万円に満たない。約8年前の中国の生活水準からいっても、にわかには信じ難いこの数値がどれほど「実態」とかけ離れているか、今回はこの点に迫ってみたい。
「清貧」だった毛沢東
建国の指導者、毛沢東(1893~1976年)の生活は政治――権謀術数と戦争以外は基本、読書とお茶とたばこで成り立っていた。毛の護衛責任者だった李銀橋(1927~2009年)の回顧録『人間毛沢東―最後の護衛長・李銀橋は語る』(権延赤著、竹内実監修、徳間書店、1990年)によれば、「あまりに清貧」だったという。毛への評価は割り引いて読む必要はあるが、金銭に関する描写は興味深い。
「当時、毛沢東の家庭の経済は、一定基準の食事が支給されるほか、毎月若干の現金が支給されていた。(中略)毛沢東が毎月受けとる二〇〇元近くと江青の一〇〇余元は、一貫して私が管理していた」
それ以外の収入は、著述家としての原稿料で、毛は部下や同僚で生活に困っている者がいれば、原稿料の中から支出して援助したという。これは1950年代の話で、物価水準は今と比較しようもないが、大国の指導者の待遇としては確かにつつましい。
だが、本書を含めてこうした中共幹部の「伝説」を読む時に注意が必要なのは、彼らの実際の生活環境だ。毛には常に専属の秘書、護衛、料理人、医療スタッフがいて四六時中、世話をしている。毛の生活が質素なのは、農村出身としての習慣がそうさせている部分が大きく、戦時の例外を除いて彼は党組織から手厚く守られており、生活には困っていない。
「毛沢東がちゃんと食事をとるときは、ふつう一汁四菜でした……しかしこうしたキチンとした食事をすることはそんなになかった。彼はすごく“気まぐれ”でしたから」(同書)
毛は、もっと贅沢をしようと思えばいくらでもできたのである。
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