起業、独立、複業など「自分軸」に沿った働き方を選択することで、より理想にフィットした生き方を手に入れようとした女性たちの等身大のストーリーを追う「INDEPENDENT WOMEN!」
 不妊と仕事の間で葛藤していた30代から、3度目の妊娠そして死産。自分自身が抱いていた“普通”への憧れと葛藤を手放したとき見えた新たな道とは? 不妊カウンセラーの池田麻里奈さんのストーリー後編。

文=吉田彰子 写真=大森忠明
池田麻里奈さん
不妊カウンセラー。「コウノトリこころの相談室」を主宰。不妊治療の悩みや、流産・死産のグリーフケア、養子縁組についてのカウセリングを行うほか、大学などで講演活動を行っている。著書に『産めないけれど育てたい。不妊からの特別養子縁組へ』(KADOKAWA)
 

当時はまだ一般的ではなかった「グリーフケア」

 池田さんが待望の赤ちゃんを妊娠7カ月で失ったのは、東日本大震災が起こった2011年。震災を機に、「グリーフケア(=死別などによる深い悲しみをケアすること)」という言葉も少しずつ知られるようになったが、当時はまだ医療関係者にも浸透していなかった。

 悲しいお産が終わった後、医師たちはみな口をつぐみ、分娩室には池田さんご夫婦の泣き声だけが響いていたという。医療関係者ですら、死産した夫婦にどんな言葉をかけたらいいのか分からなかったのだ。

「不妊はもちろん辛いです。じわじわと辛いんです。でも、流産や死産は急に宣告されることなので、辛さの種類がまた違うんです。未来への希望が、ある日突然断たれてしまう。カウンセリングを1年間勉強して、ケアをする立場でいたはずの私ですら、危機的状況に陥りました。だから本当に、グリーフケアの必要性を深く感じたんです」

 池田さんを救ったのは、先輩のピアカウンセラーによるグリーフケアだったそう。そして少しずつ回復していった池田さんは、流産や死産を経験した人たちが参加できるグループカウンセリング「天使の保護者ルカの会」に参加する。

「親兄弟には言えなくても、同じような経験をしたピア同士であれば、自然と話しやすいんです。きっと身近にも、不妊や流産・死産の経験者はいるはず。でも言い出しにくいことなので、なかなか当事者同士はめぐりあえないんですよね。だからこそ、ピアとの会話は心の安らぎになりました」

ピアカウンセラーとして独立に向かって

 その後は編集の仕事を辞め、少しずつカウンセリングのボランティアを始めた。その間も、先輩ピアカウンセラーからのグリーフケアと、生殖心理カウンセラーによるカウンセリングを受け続けた。池田さん自身がケアを受けながら、少しずつ社会復帰していった。

 そうやって2年が過ぎたころ、池田さんは「そろそろ自分ひとりでやってみよう」と決意する。ホームページを作成し、区営の会議室などを利用してグループカウンセリングを開いた。そこでは、不妊や流産・死産のカウンセリングだけでなく、養子縁組についての勉強会を開き、養子を迎えた人たちから体験談を聞くなどの活動も始めた。

 カウセリングをする中では、池田さん自身が体験した死産についての話ももちろん避けては通れない。辛い過去の記憶が蘇ってきたりして、カウセリングが辛くなることはないのだろうか。

「トレーニングを積んでいるので、私自身があの時を思い出して感情があふれて取り乱すことは、もうありません。もちろん同じ状況を経験しているのだけれど、相談者さんと自分とは違う人間、と一線を引くこともカウンセリングをする上で重要なことなんです。

 でないと、『私はこうしたから、あなたもこうしたらいいよ』と選択を押しつけてしまう恐れがあります。回復のスピードだって、人によって変わるもの。私の考えや価値観を、カウンセリングの中で無意識のうちに押しつけないよう、心がけています」

カウンセリングルームにある本。相談者が抱える悩みに応じて、おすすめの本を紹介することも。