ロシア軍によるウクライナ侵攻が始まって5カ月が過ぎた。
収束の兆しは見えない。それどころか、制圧地域を拡大すると明言したロシア軍と応戦するウクライナ軍の間で、戦況悪化が懸念される。
現場のウクライナはどんな様子なのか。
侵攻開始以来、3度にわたりウクライナ取材を敢行した戦場カメラマン・渡部陽一氏が「1000枚の戦場」(渡辺陽一氏が撮り続けた「戦場」の写真から、戦場のリアルを伝える動画コンテンツ)の中で明かしている。
今回はその中から、軍事侵攻が始まって3ヵ月後の2022年5月、2度目のウクライナ取材後のレポートを紹介する。
10日間の滞在期間で渡部が回ったエリアは、首都キーウをはじめ、ロシア軍による虐殺が行われたというイルピン、ブチャ、ホストメルなど。
開戦時にロシア側から宣言されていた攻撃対象以上の破壊の現場を、その目で確認し、カメラに収めてきた。
一方で、ニュースなどでは伝えられていない、戦場以外のウクライナの姿にもファインダーを向けた。
悲しみの傷痕と、穏やかな日常。渡部は言う。――「影と光のウクライナが存在した」。前後編の前編となる今回は「悲しみの傷跡」とそれを残す意味について。
各国メディアが「ジェノサイド」と称したその傷痕
ウクライナを取材するなかで、侵略戦争の残虐な傷跡が“むき出し”のまま残っていたのが、イルピン、ブチャ、ホストメルという、首都キーウの近郊一帯だった。
大量虐殺犯罪を意味する「ジェノサイド」が行われたと、ウクライナのゼレンスキー大統領をはじめ、世界各国のメディアがしたのが、このエリアだ。
一帯には、空港や軍事施設だけでなく、一般市民の暮らしもあった。しかしロシア軍の容赦ない爆撃によって、家屋は燃え尽くされ、灰と化す(冒頭の写真)。
イルピンでは蜂の巣にされた一般市民の車と、それらが集められ、積み上げられていた。
これらの車への攻撃は「人道回廊」で行われたものだ、と渡部はいう。
人道回廊とは、一時的に双方が戦闘を停止するなかで、一般市民が避難するルートのこと。
「今回の戦争でも、一定期間は攻撃を停止するという約束が結ばれたんですが、実際は、動くものは攻撃され、破壊されていた。その現実がはっきりと確認できたのが“車”でした」(渡部陽一氏)
この地で多くの市民が犠牲となった。ロシア軍の残虐性が取材のなかではっきりと見えたと渡部は語る。その傷痕を証明するのがこの一枚だ。