いよいよ2日後に迫った参院選(写真:つのだよしお/アフロ)

(真山 知幸:偉人研究家)

 いよいよ参議院選挙の投票日が間近に迫っている。各候補者も各地で、最後の訴えを行う時期だ。どの候補者に投票すべきなのか。人間性を見るために「政治家メシ」に着目してみても面白いという記事(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/70674)も書いたが、ここまできたら最後は各候補者の「言葉」に耳を傾けるほかはない。課題が山積している今の日本を変えられるだけの政治家なのかどうか──。これまで変革を行ってきた政治家の言葉を通して、改めて候補者にその本気度を問いたい。

理想の社会を実現する「実行力」はあるか?

 緊急時にこそ、政治家のリーダシップが問われる。1920年から1923年まで東京市長を務めた後藤新平は、1928年に関東大震災が起こると、その指導力をいかんなく発揮する。内務大臣兼帝都復興院総裁として都市計画を立案。13億円という莫大な予算をつぎ込んで社会基盤を再生させた。

後藤新平(写真:近現代PL/アフロ)

 後藤はもともと医師だった。24歳の若さにして病院長に抜擢されたのをきっかけに、医師として順調にキャリアを積む。しかし、公衆衛生に対する関心が高まるに連れて、こんな思いを抱くようになった。

「個々の病人をなおすより、国家の医者となりたい」

 そう考えた後藤は官僚の道へと方向転換する。内務省衛生局へ入局し、自ら現場に足を運び、道路舗装や下水道の整備などに力を注いだ。そんな現場に重きを置いてきた後藤だからこそ、関東大震災という緊急時でも存在感を発揮できたのだろう。

 東京の礎を築いて「ミスター・インフラ」の異名をとった後藤は、こんな言葉を残した。

「妄想するよりは活動せよ。疑惑するよりは活動せよ」

 キューバ革命を成し遂げたチェ・ゲバラも医学部生だったが、南米への放浪の旅を通じて、政治の世界に目覚めている。インディオや下層農民、労働者の貧しさを目の当たりにし、社会主義へと傾倒。患者の病ではなく、社会の病に立ち向かった点は、後藤と共通している。

 ゲバラがほかの革命家と一線を画しているのは、母国のために戦ったわけではないという点だ。ゲバラ自身はアルゼンチン生まれだったが、虐げられている人々がいれば、国がどこかは関係なく、駆けつけて助けようとした。キューバ革命に身を投じることを両親に初めて打ち明けるとき、ゲバラはこんな言葉でその思いを伝えている。

「ぼくは新しい運命=目的地へと向けて出発しなければならないのです」

 カストロとキューバ革命を成し遂げたのちは、コンゴや南米のボリビアに渡り、一人の革命家として戦い続けたゲバラだったが、やがて捕らえられる。死を予感したゲバラは息子にあてて、こんな手紙を書いている。

「世界のどこかでなにか不正が犯されたならば、いつでも強く感ずるようになりなさい」

 処刑前夜、スープを持ってきた少女に「なぜ、そこまでして戦うのか?」と問われると、ゲバラは「理想を実現させるためだよ」と答えたという。

 選挙演説で候補者たちはさまざまなビジョンを語る。だが、はたして、これまでどんな理想を掲げ、そのためにどんな活動をしてきたのか。今一度、これまでの足跡に注目すると、投票すべき候補者が見えてくるかもしれない。