(勢古 浩爾:評論家、エッセイスト)
いま欧米では、コロナの感染状況が好転しつつあることもあって、屋外でのマスク着用義務を解除している国が増えている。欧米で行われているメジャーリーグやサッカーの試合、テニスの大会などを見ていると、観客は密も密、満員の状況で、見るかぎりマスクを着用していない率は100%である。
いつもなら世界の情勢を見て追随するのが常の日本だが、こればかりはそうもいかないようである。5月10日、東京都医師会の尾崎治夫会長が「マスクをどうするのか、話が出ている。屋外で換気の良い場所は、それほど感染リスクはない。屋外では着用の見直しをしていってもいいのではないか」と語った。これでも各界に遠慮があるのか、「見直してもいいのではないか」という言い方にとどめている。「もうしなくても大丈夫ですよ」といえないのである。
マスクを着けるのは“他人の目”のためか
テレビ朝日の「大下容子ワイド!スクランブル」では、元NHK解説委員のコメンテーター・柳澤秀夫氏が「そんなこと、国に決めてもらわなくても、自分で考えてやればいいんですよ」といったような発言をした。わたしも「そうそう、それでいい」と同意したのだが、萩谷麻衣子弁護士が「やっぱり人の目が気になるので政府から指示を出してほしい」といったのには驚いた。
国民の多くが他人の目を気にしていると思うから、やはり国がきちんと「外ではマスクを外してもいいです」と宣言してくれた方がいい、というのならまだわかる。だが、浮ついた世評などに惑わされないはずの弁護士が、他人の目が気になって考えや行動が縛られるというのはどうなのか。
しかし仮に政府が屋外でのマスク解除宣言をしたとしても、国民の何割かはそのままマスクを着けつづけるように思われる。日本人はもともとマスクが好きなのである。
というより苦にならないようだ。風邪をひいたといっては、人に伝染さないようにすぐマスクを着けてきたという経験がある。それ以外にも、顔を隠すことになぜか安心感があるようである。守られている感じがするのか。だから当然、着けたい人はそのまま着ければいいのである。