3月11日、埼玉西武ライオンズの打撃コーチ平石洋介は自身が毎月配信する「正解のない指導論」(「オンラインBaseballPARK」)をliveで更新し、11年前の東日本大震災について振り返った。その中で語られた、当時と今の「被災地」への思いを紹介する。
「帰った直後は、もっとすごかった」
2011年、平石洋介は現役選手として東北楽天ゴールデンイーグルスでプレーをしていた。プロ7年目、31歳を迎える年。1年を通して1軍でプレーしたシーズンはない。勝負の年だった。
兵庫県明石市で千葉ロッテマリーンズとのオープン戦のこと。チームにその一報が衝撃とともに伝えられた。試合は8回で打ち切られ、状況を知った選手たちは、「今すぐ、仙台に戻りたい」と口にした。
平石も、まったく同じ思いだった。
中学校から大阪へと居を移した平石は、1995年の阪神淡路大震災も経験している。当時について、「被害の大きい場所に比べたら、経験したと言えるほどではない」と回顧するが、逆に言えば、仙台に帰ってから見て、経験した「震災の跡」の衝撃が、それほど大きかったのだ、とも言える。
「震災のあと、見たことある?」
live配信の事前打ち合わせで平石からそう聞かれ、わたしは震災から4年後、福島県南相馬市で見た風景を伝えた。フレコンバックの山と『「津波浸水区間」ここまで』と書かれた街中の標識に、言葉がなかった、と。
「そうでしょ……」
平石はそう言い、ぽつりと付け加えた。
「帰った直後は、もっとすごかった」
live配信で語ってくれたのは、その「帰る前後」の故・星野仙一氏とのやり取りだ。