地震・津波被災地を取材したあと、次は原発事故の被災地を訪ねなくてはならないと思った。そうしないと、地震・津波に原発災害が重なった「3.11クライシス」の全体像が見えてこない。

 取材場所に選んだのは太平洋岸の街、福島県南相馬市である。福島第一原子力発電所から真北の人口約7万人のこの街は、まるでフランス国旗を縦にしたように、市域が3つに分断されているのだ。原発に近い南から順に「20キロメートルライン以南の無人地帯」「20~30キロメートルラインに挟まれた中間地帯」「30キロメートルライン以北の安全地帯」である。

 この3つのうち、ちょうど私が現地に入った4月22日午前零時から「20キロライン南側」は、住民が避難した上に立ち入りが法律で禁止され、完全な無人地帯になった。一方、一番北寄りの「30キロライン北側」は、平時と変わりない安全地帯である。

 そして市役所を含めた市の中心部(住民は約4万5000人。市の人口の半分以上を占める)が、この無人地帯と安全地帯に挟まれた「中間地帯」に取り残された。

 ここの「中間地帯」の暮らしは、一体どうなっているのだろう。

 結論を先に言うと、そこは都市機能が停止した「見捨てられた街」になっていた。そこに、他に行き先のない住民たちが「仕方なく」暮らしている。

 東京から福島までは、東北新幹線が復旧していた。そこでレンタカーを借りて、1時間半山越えの道を走った。東京では10日ほど前に散ったサクラが、沿道では満開である。そんなのどかな山村(表示を見たら、住民の立ち退きで問題になっている飯舘村だった)を抜けると、そこが南相馬市だった。

よく見るとゴーストタウン

 街に入ってすぐ、街の幹線道路である国道6号線(福島県太平洋沿岸部を南北に貫く)を南に向かった。20キロラインの境界で、警察が道路を封鎖している検問を取材しようと思ったのだ。

 春の陽が暖かい。田園の中を片側1車線の国道がゆるやかにカーブしている。満開の菜の花や山桜が美しい。日本の「田舎」ならどこにでもあるように、国道両側には、広い駐車場のあるロードサイドストアが点在している。家電量販店、ファミリーレストラン、スーパーマーケット、ファストフード、ホームセンター、カーディーラー・・・。あまりに平和で平凡で、あくびが出そうだった。