印象に残った眞子さんの意志の強さと頑固さ
皇族には反論する機会がない、という台詞を昨今やたらに耳にするようになったが、この記者会見こそがその最大にして最高の機会だったはずだ。自身の口から質問内容を否定する。その言葉と声を聞けば、誰もがその姿勢に納得するはずだった。もっと言えば、「誤った情報が事実であるかのような印象を与えかねない質問」であるとは思えないし、そうだとしても文書回答にあるようにきっぱり否定すれば済む話だ。
週刊誌に限らず報道には“あてる”という作業がある。それが事実であるのかないのか、当事者に問い合わせて確認する。その質問をしているだけのことだ。憶測に過ぎないのなら否定すればいい。取材者側も根拠がなければ、それ以上は問えない。
小室眞子さんは、この日の会見(というより記者発表)で、冒頭にこう述べている。
「一部の方はご存知のように、婚約に関する報道が出て以降、圭さんが独断で動いたことはありませんでした。
例えば、圭さんのお母様の元婚約者の方への対応は、私がお願いした方向で進めていただきました。
圭さんの留学については、圭さんが将来計画していた留学を前倒しして、海外に拠点を作って欲しいと私がお願いしました」
この発言から察するに、彼女はかなり意志が強く頑固である印象を受けた。一方で小室圭さんは俗にいう「尻に敷かれるタイプ」とも想像される。頑固であるが故に、思うようにいかないことが囁かれたり、報じられたりする現実に直面すると、余計に傷つく。それが複雑性PTSDに結びついたのだろう。口頭での質疑応答を拒んだことも、日本雑誌協会への回答の前置きも、言い換えれば抗議の意思表示とも受け取れる。「強い不安」の影に「強い不満」がある。嫌なことは応じない。触れられるのも嫌だ。
この結婚で、結納にあたる「納采の儀」や、天皇皇后両陛下に宮殿でお別れのあいさつをする「朝見の儀」など女性皇族の結婚関連儀式はすべて行われなかったことも、皇室を離れる際の一時金の受け取りを辞退したことも、頑固さの証左だろう。その性格を否定するものではない。意志の強さは人として魅力でもある。
だが、これまでは皇族だったので、自身が望むことを周囲が叶えてくれた部分も多々あったはずだ。前夜になって質疑応答のある本来の会見形式を変更したこともそのひとつだ。宮内庁が手はずしている。民間人となれば、もっと厳しい質問や現実に曝される。