北朝鮮・平壌のメーデースタジアムで故金日成主席の肖像画を前に行われたマスゲーム(2018年10月25日写真:AP/アフロ)

(藤谷 昌敏:日本戦略研究フォーラム政策提言委員・元公安調査庁金沢公安調査事務所長)

 報道によると、北朝鮮帰国事業で人権を侵害されたとして、日本に脱北した者5人が北朝鮮政府を相手取り計5億円の損害賠償を求めた訴訟をめぐり、東京地裁は8月16日、第1回口頭弁論を10月14日に開くと決めた(参考:「北朝鮮相手取り帰国事業で損賠訴訟、10月に初弁論」2021年8月16日、産経新聞)。

 弁護団によると北朝鮮政府を相手取った訴訟は初めてという。北朝鮮とは外交関係がなく、裁判所の掲示板に一定期間、関係書類を公示することで相手に届いたとみなす「公示送達」の手続きを取った。

 北朝鮮は1959(昭和34)~1984(昭和59)年、「地上の楽園」と宣伝して在日朝鮮・韓国人と日本人配偶者ら家族の北朝鮮への集団的移住・定住を推進した。日本政府も協力し、日本国籍者を含む9万3000以上が渡航したとされる。民事訴訟法では、日本の裁判所が国際裁判の管轄を持つのは不法行為が日本であった場合とされている。弁護団は「虚偽宣伝は日本国内で行われており、日本の裁判所で争える」などとして2018(平成30)年8月に提訴していた(産経新聞)。

 北朝鮮帰国事業が始まったのは、1959年12月14日、975人の在日朝鮮・韓国人を乗せた船が日本の新潟港から出発したことから始まる。以降1984年までの25年間で、延べ180回にわたって約9万3000人以上の人々が日本を後にした。その中に約1800人の日本人妻を含む6800人の日本国籍者も存在していた。

 当時、朝鮮総連(総聯)らによって、「北朝鮮はパラダイス」と宣伝されていたことを信じた在日朝鮮人の人々を待ち受けていたのは、階級差別と人権侵害の嵐だった。北朝鮮の敵とみなされて「不穏分子」「日帝スパイ」などとの言いがかりを受け、多くの者が政治犯として強制収容所に送られ、激しい拷問や重労働の果てに死亡もしくは行方不明となったという。