眞子さまの結婚問題は日本の歴史の大きな転換点となる(2020年2月23日撮影、写真アフロ/AP)

 歴史の教えるところは、国家の存続を揺るがす状況が出現すると、日本の正統性を質す国史が編纂され、あるいは著述されてきたということである。

「日本の正統性」は、いうまでもなく天皇と皇室にかかわる問題である。

 共産主義国家ソ連が出現し、コミンテルンが天皇制打倒を掲げると、日本は大陸で脅威を食い止めようと努力する。この理論的支柱ともなった一書が『日本二千六百年史』(大川周明著、昭和14〈1939〉年刊)である。

 出版直後は軍部や右翼の一部から「国体違反」や「不敬」などと批判されて「不敬罪」部分の削除を迫られた。

 戦後はGHQによって追放図書とされていたが、削除部分も復原した新書版が上皇陛下の譲位表明(平成28年8月8日)から1年余後の平成29(2017)年10月に発行された。

 また御代替わりを前に『日本国紀』(百田尚樹著、平成30〈2018〉年刊)が上梓されてベストセラーとなり、今秋には加筆した文庫版が計画されているという。

 上皇陛下が象徴天皇とは何かを考えつくされた挙句の「譲位」決意は歴史上の画期であり、国民が関心を抱いたのは当然であろう。

 他方で、眞子内親王殿下と一般男性との過去に例のなかった結婚問題があり、皇室の将来と日本の正統性に危惧の念が上がっていることも関係しているに違いない。 

正統性確認のための国史などの編纂

 以下、主として『日本二千六百年史』を参照しながら記述する。

 乱世の世において、日本は国史を編纂して皇室の正統性を確認してきた。皇室こそが日本の芯柱と位置付けられてきたからである。

 乱世の原因は外国との戦争もあり、また国内における豪族や武家の台頭などもあった。

 国史の編纂という大作業を最初に行ったのは聖徳太子で、『天皇記』「国記』などであった。蘇我氏の台頭が国を誤らせる危惧からであったが、大化の改新(645年)によって蘇我氏と共に散失してしまう。

 天武天皇の時に改めて国史編纂が始まり、約40年後の元正天皇の御代に完成したのが『日本書紀』(720年)である。この間には伝誦を撰録した『古事記』(712年)も完成する。

 平安朝では蘇我を滅ぼすのに力を貸した中臣鎌足が藤原姓を賜り専横を極め、建国の精神や国体の本義を明らかにする国史の尊重を好まなかった。